引退理由の一つになった“ポスト吉田沙保里”は誰になるのか?
世界最強だと言われる日本の女子レスリングの象徴でもあった吉田沙保里(36)が10日、都内のホテルで現役引退会見を開いた。銀メダルに終わったリオ五輪後に自国開催の東京五輪を目指すのか、引退するのか、葛藤してきたが、「昨年12月の天皇杯での試合を見たりして若い選手が世界で活躍する姿を見て(彼女たちに)引っ張っていってもらいたい、バトンタッチしてもいいかなという思いになりました。自分と向き合ったとき、すべてをやり尽くした、という思いが強く引退を決断しました」という。 吉田は、「若い選手へのバトンタッチ」を引退理由のひとつに挙げた。五輪3連覇の偉業を果たした吉田に代わる若手選手は誰になるのか。“ポスト吉田”である。 引退会見で後継者はいるのかと問われると「そうですね。たくさんいますね」とにこやかに答えたのち、「うちの道場の奥野春菜、向田真優もいます」と2018年の世界選手権53kg級王者の奥野、同55kg級王者向田という2人の世界王者の名を挙げた。
奥野か、向田か。候補は2人の世界王者
「うちの道場の」として名前が挙がった奥野は、吉田の父・栄勝さんが始めた一志ジュニア教室で3歳になる前から、3学年上の姉・里菜に続いてレスリングを始めた。ちょうど女子レスリングが五輪の正式種目に決まったころで2004年のアテネ五輪には家族揃って吉田の応援のために現地で観戦している。 アテネで吉田が初めての金メダルを手にしたあと、吉田の母・幸代さんは奥野姉妹に「大きくなったら、おばちゃんを五輪に連れて行ってね」と話しかけていたが、そのことを尋ねても「小さかったので、覚えていないです」と返されたことがある。5歳と幼かったので、細かいことは思い出せないが、「さおちゃん(吉田沙保里)が勝ったのは嬉しくて、感激して泣いた」そうだ。 高校卒業までは吉田の父・栄勝さんのもとで基本的な教えを受けたあと、リオ五輪の翌年に至学館大学へ進学。大学1年生で初めて日本代表となり、2017年に55kg級で世界選手権に出場して世界王者になった。翌2018年は五輪実施階級の53kg級に下げて世界選手権に挑戦、2階級制覇、大会2連覇を果たした。 もうひとり、吉田から名前が挙がった向田真優も吉田と同じく三重県出身で5歳と幼少期にレスリングを始めているが、四日市市にある吉田の父とは別の教室だった。中学からはJOCエリートアカデミーに入校、東京・北区にあるナショナルトレーニングセンターで汗を流し未来の五輪金メダリスト、吉田の後を継ぐ最有力候補としてずっと期待されてきた。 同世代に負けた体験が、ほぼないままシニアデビュー、2016年に大学1年で初めて体験した世界選手権の55kg級では優勝したものの、翌2017年世界選手権では大量リードしていた53kg級の決勝で試合終了まで残り数秒から逆転負けした。止まらない涙を流しながら振り絞るように「沙保里さんがずっと守ってきた階級だったのに」と話す姿は、ただの負けではなく、日本女子の強さを守りきれなかった悲しみが、悔しさを上回っていたように見えた。 幼少期から巧みなレスリングを続けてきた選手は、「相手の様子を見る」病にかかることがある。攻めることよりも相手の攻撃を受けて試合をきれいにまとめようとするのだ。 少し前から向田にその傾向を見つけていた栄和人強化本部長(当時)は、「すごく悔しいだろうけど(世界選手権決勝の逆転負けは)勉強になったはず。立ち直るのに時間がかかるかもしれないけれど、だからこそ、さらに強くなれるはず」とまだ開花していない向田の強さに期待を寄せていた。 2018年向田はあえて東京五輪では実施されない55kg級で世界選手権に挑戦。今度は最後まで攻め続けて世界王者に返り咲いた。 「とられたらどうしようと思ってしまった」と話した、儚げな少女ではなくなっていた。