出家しても女遊びは止まらなかった! 花山天皇の「すさまじい淫行」とは
■母娘をともに孕ませる 相手となった母とは中務、娘は平平子である。母である忠務は平祐之の娘で、その娘が若狭守・平祐忠の娘。生まれた子は、花山法皇の第一皇子・昭登親王(娘の子)と第二皇子・清仁親王(母の子、花山源氏の祖)である。 この昭登親王と清仁親王は、ともども複雑な事情での出自であったことから、花山天皇の父である冷泉上皇の子(第5、6皇子)として育てられた。清仁親王は母から生まれたところから「母腹宮」、昭登親王は娘から生まれたところから「女腹宮」と呼ばれたほどだから、宮廷内でも誰もが知るほど噂が広まっていたのだろう。もちろん、道長もこの辺りの事情は知っていたようで、おそらはく、呆れ果てたにちがいない。 また、花山天皇の母・藤原伊尹の長女である懐女の妹・九女(九の御方)とも懇ろになっていたとも。ただし、その寵愛はほんの一時的なものだったようで、前述の中務、平子母娘に寵愛が移るや、途端に興味が失せ、異母弟の為尊親王に押し付けて結婚させたというから何をかいわんやである。 花山天皇の外叔父である藤原義懐(伊尹の五男)も、蔵人頭として花山天皇を支えていたようであるが、天皇に伴って、前述の惟成ともども出家している。その後義懐、惟成の二人は、いずれも仏門修行に励んだものの、かつての主である花山法王の淫行までは抑えることができなかったようだ。二人の仏門入りは、いったいなんのためだったのか?虚しい思いに駆られてしまうのだ。
藤井勝彦