誰も答えを知らない「老いとどう向き合うか」――『終わった人』『迷惑な終活』…「高齢者小説」の魅力
男性と女性の描き方
アラフォーの私にとっても、内館さんの作品に出てくる人々は、皆リアルです。『終わった人』で終わりたくない主人公の壮介が挑む新しいことの数々や、ロマンス。『すぐ死ぬんだから』の年齢を重ねても若々しくあろうとするハナと、ハナが知らなかった秘密。『今度生まれたら』と考える夏江の人生にあったかもしれない様々な転機。そして、『老害の人』の老害の皆さんの、小説で付き合っても疲れてしまうような老害ぶり! 人生で起こり得ること、それぞれの年代で考えることが、まさに「あるある!」と「ありそう!」の連続で、さらに、タイトルのままで終わらない、爽快な結末の虜になりました。今から、次回作を心待ちにしています。 「高齢者小説」シリーズで共通しているのが、女性の格好良さ。例えば、『すぐ死ぬんだから』の忍ハナの人気は頷けますし、娘や嫁、そして後から出てくる女医など、他の女性たちも強か。人生や選ぶ道はそれぞれ違っても、やりたいことを貫く強さと、変わっていくしなやかさを持ち合わせています。 また、私がその生き方を理解できない女性たちも、いそうだな、と納得させる存在感があって、憎めません。 もちろん、男性たちにも、内館さんの温かい目が注がれていて、情けなかったり、つまらなそうに見えたりしても、何かを見つけて幸せそうに見えます。そして、皆、文句を言いつつも、御託を垂れつつも、行動力があるんです! 『終わった人』の壮介や『迷惑な終活』の英太、そして、『老害の人』の福太郎は言わずもがな、ぼんやりした印象のある『すぐ死ぬんだから』の雪男はやるときはやる、倹約家である『今度うまれたら』の和幸は、歩く会「蟻んこクラブ」の活動に奔走しています。 内館さんの高齢者小説を読むと元気をもらえるのは、知らず知らずのうちに登場人物たちのエネルギーに感化されるからかもしれません。
同じ時代を生きている
さらに、「高齢者小説」を読んでいて感じる喜びは、今の時代の小説であること。私たちが生きる現代日本の社会問題や災害などが登場人物にも降りかかります。 特に顕著なのが、『老害の人』。コロナ禍が微細に描かれ、緊急事態宣言の度重なる延長に翻弄された当時の記憶も蘇ってきます。 内館牧子さんのドラマや、エッセイのように、小説を通しても、同じ時代を生きていることを感じられるのです。 「ニッポン放送開局70周年記念 NEXT STAGEへの提言Ⅱ」という番組で、内館さんの人生を改めてお聞きして思うのは、女性が男性と同等に働くことが難しかった時代から、その時その時に抱いた感情を大切にされてきたこと。三高を捕まえ寿退社すること、男性ばかりの職場で仕事を任せてもらうこと、自分で生きていくこと、新たな世界に踏み出すこと。内館さんと、日本の女性たちが目指し、奮闘してきたことが、その作品の礎になっていることは疑うべくもありません。 そうした時に思い出すのが、今は亡き私の祖母です。長女として家のために銀座の子ども服店で働いていた祖母は、結婚し子育てをして、娘たちが大きくなってからは、夫のお店を手伝っていました。築地にお店があったので、銀座のタウン誌『銀座百点』を手に入れる度に、内館牧子さんのエッセイ「きょうもいい塩梅」に付箋を貼っては、私に読むように、と差し出してくれました。当時、思春期に入りかけだった私は、斜に構えた態度で受け取ってみるものの、いざ読むと面白く、「また頂戴ね」とねだる、どうしようもない孫でした。思い返せば、認知症になる前の祖母は、内館さんの物語の登場人物のように好奇心が旺盛で、お客さまから聞いたことをすぐにやってみたがるひとでした。美味しかった旬のもの、旅行先、音楽など、面白いもの、新しいものを教えてくれたのはいつでも祖母で、そんな中のひとつが、内館牧子さんのエッセイだったのです。 認知症になってから、いつもにこにこしていた祖母は他界しましたが、内館さんの高齢者小説を読むと、祖母が同じ時代を元気に、パワフルに生きていたら、というifの世界を覗くことができる気がします。 同じ時代を生きた、わたしの、あなたの、思い出と結びつく、内館さんが紡ぐ物語。 最新刊『迷惑な終活』、そして、「ニッポン放送開局70周年記念 NEXT STAGEへの提言Ⅱ」で、ぜひご一緒に味わってください。
箱崎 みどり