北新地のクラブを10軒ハシゴ…大阪に愛された「やしきたかじん」が歩んだ“ボンボン”から“浪速の視聴率男”への道
がん手術後は快復したように見えたが
そんなやしきたかじんが体の変調を訴えたのは2011年のこと。 「年の暮れに、心臓が悪いと聞きました」 と語るのは、馴染みの祇園のクラブママ。 「たかじんさんは、毎年正月はハワイで過ごすのですが、『心臓が悪いし、ハワイには行かへんわ』と言っていましたが、(11年)2月にお店に来た時は、『悪いのは心臓ちゃう。食道がんや』と笑いながら言ってました。その時みんなで『心臓と食道がんを間違えるなんてヤブ医者やないの』と笑い合ったのを覚えています。手術は12年の4月9日に東京の病院で行いました」 手術は成功し、ハワイへ行けるまでに快復。13年3月、約1年ぶりにテレビ復帰を果たした。 「『ずいぶん痩せたなあ』と思いましたが、元通りになったように見えました。打ち上げの時も元気でしたから、1カ月半後に再び無期限活動停止と発表があった時は本当に驚きました」(在阪テレビ関係者) 快復したように見えて、実はがんが全身に転移していたのである。14年1月3日未明、入院先の病院で静かに息を引き取った。 「最後の10日ほどは食べ物も受け付けなかったようです」(先の古川氏) 大阪に愛された寵児が逝った。 *** 何事も“均一化”が進む今の時代、骨のあるテレビ番組はほぼ絶滅していると言えるだろう。やしきさんの番組が今も語り継がれているのは、番組作りに対する熱意が視聴者に伝わっていたからかもしれない。第1回【早朝まで“怒りの反省会”、創価学会を番組テーマに…在京テレビ局のタブーを打ち破った「やしきたかじん」が“浪速の視聴率男”だった理由】では、型破りだった“やしきたかじんの仕事”について番組の出演者やテレビ局のスタッフたちが語っている。 デイリー新潮編集部
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