なぜ?秋開催の花火大会 こたつ布団を持ち込む人も…地元民でも意外と知らない祭りの謎
例年11月23日、長野市内では「長野えびす講煙火大会」が開催され、約1万発の花火が晩秋の夜空を彩る。今年で117回目を迎える歴史ある花火大会だが、小中高時代を長野市で過ごした記者(27)は「なぜ秋に打ち上げるのだろう。他の市町村の花火大会は夏なのに」と長年疑問に思っていた。打ち上げ場所の犀川河川敷とその周辺は風が強くてとても寒いため、観客の中にはスキーウエアを着込んだり、こたつ布団を持ち込んだりする人も。ここまで防寒対策が必要になるのに、なぜ秋なのか。市民に「えびす講」と呼ばれて親しまれている花火大会の由来や歴史を調べてみた。(中島瑞穂) 【昨年の動画】あいにくの雨だけど…冬空に映える花火8000発
西宮神社の例大祭と花火
2006年に長野商工会議所が作成した100回記念の記録誌によると、第1回大会は1899(明治32)年に開かれた。商売の神「えびす様」を祭る西宮神社(長野市岩石町)の秋の例大祭「えびす講」(11月18~20日)に合わせ、街の有志がえびす様への感謝の気持ちを表し、祭りを盛り上げようと花火を打ち上げた。これに合わせて商店は大売り出しを行い、街はにぎわったという。以来、西宮神社の秋の例大祭に合わせて、花火を打ち上げることが恒例になった。 ただ、時勢によって開催できない年もあった。太平洋戦争開始に伴う1941(昭和16)年からの中断は、戦後の1947年まで続いた。1988年は昭和天皇の体調悪化を受けて中止。また、2019年は市内に大きな被害を出した台風19号災害、2020年は新型コロナの影響で開催が見送られた。
山の頂上から打ち上げ
打ち上げ場所はこれまでに9回も変わった。第1回から戦後までは、中心市街地の三輪田町で打ち上げていた。その後、高い場所で打ち上げてより多くの市民に楽しんでもらおうと考えたようで、市街地の西にある旭山の中腹、北にそびえる地附山の頂上で打ち上げた年もあった。現在の犀川河川敷の場所を使うようになったのは、1991(平成3)年からだ。この際、近くにある工業団地などでの交通渋滞を避けるために、開催日を20日から祝日の23日「勤労感謝の日」に移した。