「芝居が好きでどうしようもない、根っからの役者」 デビューは死体役だった川谷拓三さんの「役者バカ人生」
大部屋俳優から人気俳優へ
父は日活で200本以上の映画を撮影したカメラマン、母は俳優、母の叔父は俳優の井沢一郎。昭和を代表する個性派俳優・川谷拓三さんの生まれは、今でなら“映画界のサラブレッド”と称されるだろう。だが、実際の川谷さんは1959年、18歳でエキストラとなり、美空ひばりさん主演映画の死体役でデビュー。翌年に東映京都撮影所の大部屋俳優となってからは、時代劇の斬られ役などをひたすら演じ続けた。 【写真】川谷さん長男・仁科貴は俳優業を継続…北野映画「首」など話題作にも
ようやく芽が出始めたのは60年代後半のこと。70年代には中島貞夫監督のやくざ映画で頭角を現し、74年に「史上最大のヒモ・濡れた砂丘」で初主演を果たす。並行して深作欣二監督に「仁義なき戦い」シリーズにも出演し、鮮烈な印象を残した。深作監督は以後も川谷さんを起用し、認知度の向上に一役買うことになる。 お茶の間が川谷さんに注目したのは、ドラマ「前略おふくろ様」から。1978年には市川染五郎(現・二代目松本白鸚)主演のNHK大河ドラマ「黄金の日日」で杉谷善住坊役を熱演した。これで一気にブレイクし、80年代に入っても映画とドラマで大活躍。朝ドラや大河、大作映画、娯楽映画など多彩なジャンルで唯一無二の存在感を発揮していたが、95年6月に体調を崩して入院すると、12月に肺がんで帰らぬ人となった。享年54。 駆け出し時代から“拓ボン”と呼ばれ、その愛嬌と芝居への情熱で多くの業界人に愛された川谷さん。東映京都撮影所所長(取材当時)の佐藤雅夫さん(2012年9月14日死去、享年73)が「週刊新潮」に語っていた、愛する“拓ボン”の思い出をお届けする。 (「週刊新潮」2011年12月15日号「デビューは死体役 川谷拓三の『役者バカ人生』」 をもとに再構成しました。文中敬称略) ***
“拓ボン”と可愛がられていた
悪玉をやらせたら天下一品の金子信雄は1月。ルパン三世の声でお馴染みの山田康雄は3月。 「やけに個性派俳優が亡くなったなと思っていたんですが、年の瀬にもう1つ、訃報が届くとは」 古参の映画記者は、こう嘆く。俳優の川谷拓三さんが6カ月の闘病生活の末、肺がんで亡くなった。享年54だった。 川谷さんの映画初出演は18歳の時。しかし「ひばり捕物帖・ふり袖小判」(1959年)で回ってきたのは死体の役だった。翌年、東映京都撮影所に入社してからも、斬られ役専門で下積み生活が続いた。 銀幕では3000回も殺されたそうだが、佐藤雅夫・京都撮影所長によれば、 「斬られて倒れる寸前にパッとカメラの方を向く。あの独特の風貌で“拓ボン”と可愛がられていましたから、そんなスタンドプレイをしても、監督からは憎まれない。そうやって顔を覚えられて、役がつくようになったんです」