「みんな骨を埋める覚悟ができていた」…2万人以上の日本兵がいた「硫黄島」の米軍上陸前の様子
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
決死の覚悟
当時の守備隊兵士たちの心境について、西さんはこう振り返った。 「あれだけ空襲してくるのだから、いずれ米軍が上陸するのは明らかでした。でも、島の兵士たちの雰囲気はあまりにも和やかなんですよ。妙な言い方ですけどね。地上戦になったら連合艦隊が救援に来てくれるとか、もうあんな状況では援軍が来そうな雰囲気ではなかったですよ。諦めというんじゃなくて、その時、その目の前の任務に命令通り、精一杯取り組むだけです。悲観的な会話は全然なかった。みんなこの島を守る戦いで骨を埋める覚悟ができていたと思います」 西さんたちは米軍の攻撃以外でも苦しめられた。喉の渇きとも戦い続けたのだ。 「硫黄島には川がありません。だから飲み水には苦労しました。私たちの部隊の補給担当者は毎朝、みんなから水筒を集め、それに給水所で水を入れて、各人に返していました。1日の飲み水はこれがすべてです。水というよりお湯でした。貯めた雨水を煮沸したのでしょうね。雨水頼りの島ですが、私が島にいた約40日の間、土砂降りはたったの一度でした。2万人以上の兵がいた島です。よくそれだけの分を貯められたなあと思います」 飲み水だけでなく、生活用水の確保も容易ではなかった。 「私たちの部隊は壕を掘る作業がありませんでしたが、硫黄島の多くの部隊は、地熱と戦いながら連日連夜、壕を掘り続けていました。水のない中で、本当につらかったと思います。ちなみに硫黄島で風呂に入ったことは一度もありません。トイレは、掘っ立て小屋みたいのがありましたが、どのように衛生を保っていたかはよく覚えていません」 水不足で洗濯もままならない中、空と海からの砲爆撃で毎日、全身砂ぼこりにまみれた兵士たちは、極めて不衛生だった。 「シラミには悩まされました。12月の途中から。なんかむずむずと気持ち悪い。夜になって寝ようとしても、かゆくて眠れないのですよ。私たちの壕には電灯が付いていました。そこでみんなで脱いで、シラミをつぶしました。将校も兵隊も。その体で本土に帰ってきましてね。下着は全部、お湯で煮たんです」 西さんは、水不足の記憶に関連して、こんな話も聞かせてくれた。硫黄島の戦いと言えば、島南部の摺鉢山に米軍兵が星条旗を掲げようとしている、有名な写真を思い浮かべる人もいるだろう。この旗ざおについてこう話した。 「旗は複数回掲げられましたが、最初に星条旗を立てる時に使った旗ざおは、おそらく(水不足に悩む日本軍が)水を貯めるために使っていたパイプだと思います。硫黄島は火山の島なので、地面から水蒸気が吹き出していました。そこに長い金属パイプを突き刺して下に桶を置き、パイプをちょろちょろと伝わる水を貯めていたのです。そんなパイプが島のあちこちにあったのです。それを米軍兵がどこからか拾ってきたのではないかと思います。ちなみに、桶には『絶対飲むな』と書かれてありましたね。私は、どうしても喉が渇いて、夜中に壕を抜け出して一度だけ飲んだことがありました。硫黄臭くて、とても飲めるもんじゃなかった。あの水は飛行機を掃除するときは使ったけど、大部分を何に使ったのか私は見た覚えはないですね」
酒井 聡平(北海道新聞記者)