すべてが感動的だったNPB初登板の日 娘に「Asia」と名付けた理由/元オリックス・マエストリ「カルチョの国から」05
2012年から2015年までオリックスでプレーしたアレッサンドロ・マエストリ氏。4年間で96試合に登板して14勝を挙げた右腕は、NPB史上初のイタリア人選手としても知られる。同氏は現在、イタリアで野球用品販売店を経営しながら、3月6、7日に京セラドームで侍ジャパンと対戦する欧州選抜の投手コーチに就任した。カルチョの国で生まれた野球を愛する男が特別連載コラムをお届けする。 インタビュー・訳・写真=浦口雅広 【選手データ】アレッサンドロ・マエストリ プロフィール・通算成績
体感的には1年先のような思い
前回お話ししたように、岡田彰布監督から初登板を伝えられてからの1週間はとてもとても長かったです! それでもナーバスな気持ちはまったくなく、むしろ夢が現実化するのに何でそんなに先なんだ!? 待ちきれない! まさか予定変更にならないだろうな!? と、体感的には1年先のような思いでした! 初登板の日(2012年8月12日対ロッテ=QVCマリン)は自分でも驚くほど冷静でした。日本に来てからのすべてのことが初めてであるのに、初登板の日だけは小さいころから頭の中で何度も何度もシミュレートしていたことが、次から次へと当たり前のように経過していくような、そんな不思議な1日だったのです。当然ですが、自分を完全にコントロールでき、完全に準備ができていることを自覚できました。 ウォームアップ前にスタンドをのぞいたときのことを覚えています。すでにとても多くのファンや子どもたちがお気に入りのチームを応援する準備をしていました。今日、私の人生で一番大きな夢が叶う、それを見届けてくれるのが彼らなんだ! そして同時に、彼らにとっても大切な思い出となるこの試合の、私は主役の一人になろうとしている! すべてが感動的でした。 幸運にもチームは勝つことができて、そして勝利投手になりました。また、ゲームのMVPにも選ばれたのです。 話せばキリがありませんが、これが私のNPBにおける第一歩。やっと一軍選手として転がり始めたときの記憶です。その後、本当に幸運の中、私は2015年シーズンの終わりまでオリックス・バファローズでプレーすることができました。 この4年間、外国人選手だけでなく、日本人選手ともたくさん友達になることができました。私は仲間やファンに恵まれたのです。皆が私を家族の一員であるように接してくれたおかげで、とんでもなくポジティブな気持ちで4年を走り抜けることができました。私は外国人でありながら、彼らのおかげで日本文化全体の一部になれたように思えました。小さいころから尊敬していた日本の文化。今でも心から、この世界で一番美しい国を愛しています!!