「野茂英雄さんの存在が大きい」大谷翔平・山本由伸も…斎藤隆が知るドジャースの“日本的な人情”「スタッフに本気で怒られた」深い理由
パイオニア野茂英雄、現在は大谷翔平に山本由伸と30年間にわたって日本人選手が活躍し続けるロサンゼルス・ドジャース。36歳にしてのマイナー契約からクローザーへと這い上がった斎藤隆氏が知る“日本人が活躍しやすい環境”とは。(敬称略。全3回の第3回/第1回、第2回も配信中) 【写真】「野茂さんが…ピアザとビールかけでニコニコ!」伝説のトルネード旋風。大谷さんと由伸はベッツ、グラスノーに愛されまくり、斎藤隆さんも…《ドジャースと日本人の幸福な歴史》を全部見る 周囲の反対や雑音を結果で封じた。 元メジャーリーガーの斎藤隆はいつ居場所を失うのか分からない不安と戦いながら、メジャー1年目を駆け抜けた。開幕直後にメジャーに昇格し、その1カ月半後からはクローザーに座った。72試合に登板して6勝2敗24セーブ、防御率2.07。無謀と思われていた挑戦は結実した。
日本人がプレーしやすい環境としてNo.1です
斎藤がメジャーで成功できた理由は1つではないだろう。 投手としての能力や覚悟はもちろん、米国のボールや打者の特徴が自身の投球スタイルと相性が良かった点も自身が挙げている。そして、もう1つ、斎藤が強調するのがドジャースへの入団だ。 「最初に声をかけてくれたのがレッズだったので、自分はレッズに行くつもりでした。ただ、色々あってドジャースを選びました。結果的にドジャースを選んで正解でした。日本人がプレーしやすい環境としてはメジャーナンバーワンです」 斎藤が入団した2006年、すでにドジャースは野茂英雄氏や石井一久氏と契約した実績があった。韓国人初のメジャーリーガー朴賛浩や台湾出身の郭泓志が所属したこともあり、球団にはアジア担当の部署があった。ドジャースを離れてからメジャー4球団でプレーしている斎藤さんは「野茂さんの存在が大きかったです。ドジャースはアジア出身選手への考え方がメジャーの球団の中で突出していました」と語る。
日本人スタッフ、快適なLA生活のための冊子
ドジャースは選手が野球に集中できる環境を整える意識が際立っていたという。 体のケアをするトレーナーや身の回りの世話をするマネージャーら、アジア担当部署には日本人スタッフが在籍した。選手の生活をサポートする日系のトラベルマネージャーは日本の食材を置いているスーパー、車を修理する際にお勧めの店舗、日本人従業員がいる銀行などを記載した日本人選手用の冊子を準備した。マイナー契約で通訳のいなかった斎藤は冊子が重宝した。 「球団に日本人の通訳がいると情報をもらえますが、当時は日本人選手が自分だけで通訳がいませんでした。冊子には飲食店のメニューや営業時間も書いてあったので助かりました。ドジャースのスタッフからは『1人で店に行きづらい時は、いつでも連絡してください』と言ってもらいましたし、そういった心配りが何よりもうれしかったです」
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