田原総一朗、本音の親子対談…90歳になっても現役、親子円満のワケ
怒ってくれるからありがたい
――和田さんが実のお父様である田原さんの事務所で働くようになった経緯をお聞かせいただけますか。 和田》私は田原の最初の妻・末子の娘で、田原の三女にあたります。末子が1983年に乳がんで亡くなり、89年に元アナウンサーでウーマンリブ運動家としても知られた村上節子さんと、どちらにとっても2回目の結婚をしています。 節子さんが健在の頃は彼女が、2004年に奇しくも末子と同じ乳がんで亡くなってからは、私が田原の仕事を助けるようになりました。最初は節子さんの妹さんと、節子さんの前夫との間の娘の江川綾子と、2人で田原のマネージメントをしていたのですが、私以外の2人は優しい性格で田原にきつく言えないと思ったので、私もやったほうがいいのではと。 田原》節子は僕に来た取材依頼を受けるかどうか、受けるとすればどういう形で受けるかまで、全て決めていたんですよ。今は全部娘に任せています。 和田》引き受けたのはほかに二つ理由があって、一つは田原が傲慢になっていると感じていたことです。1989年に始まった「サンデープロジェクト」で、田原が政局を大きく動かすような政治家の発言をいくつも引き出したことで、「サンプロ現象」と呼ばれるほど注目が高まっていたのですが、自信もあった分、すごく不遜で言葉足らずに映ることが多くなり、田原に強く言える人間が必要だと思っていました。 もう一つは節子さんが亡くなる少し前に姉の敦子が双子を出産していまして、彼女もワーキングマザーだったのでその手伝いもしたいけど、会社勤めだとなかなか厳しく、私が会社を辞めて事務所に入ればもう少し姉のサポートができると思ったんですね。 ――面と向かってきついことが言える人でないといけなかったのですね。 田原》それはもう、実の娘だからガンガン言ってくれる。ほかにここまでガンガン言ってくれる人はいないし、僕もそういう風に注意してくれないと分からないから、むしろありがたいと思っています。 和田》田原はすごくせっかちで、言葉足らずなところは大いにあるのですが、付き合っていてラクなのは、神経質ではなく、むしろ細かいところはまったく気にしないことなんです。テレビで激しく論争しているイメージが広まってしまいましたが、全然怒りっぽくもないですし、そばにいる人が気を遣うタイプではまったくありません。きつく注意してもちゃんと聞いてくれて、逆ギレされることも、あとに引きずることもありません。とにかく前向きですね。 田原》もともと雑な性格だし、鈍感なんだよね。 和田》雑だからデリカシーがなくて、言葉足らずになっちゃうのよね。 田原》だから家ではいつも怒られています(笑)。いや、本当にありがたい。 和田》あとは本当にたまたま健康に恵まれていると思います。一人で朝ごはんを用意して食べていますし。 田原》これはオフレコにしてほしいんだけど、小渕恵三内閣の時にね…… 和田》それ官房機密費の話でしょ? 今の話と全然関係ないじゃない。それにもうあちこちで喋ってるでしょ。 全員》(笑) (『中央公論』12月号では、この後も、田原さんが今でも現役でいられる理由について親子で語り合う。) 構成:柳瀬 徹 撮影:言美 歩 田原総一朗(ジャーナリスト)×和田眞理(田原総一朗事務所・三女) ◆田原総一朗〔たはらそういちろう〕 1934年滋賀県生まれ。討論番組「朝まで生テレビ!」や「激論!クロスファイア」などの司会を務める。近刊に『全身ジャーナリスト』。 ◆和田眞理〔わだまり〕 テレビ局の関連会社でデスク業務を経験し、2004年より現職。テレビ局の打ち合わせや講演に同行し、マネジメント業務をこなす。