自ら道路に飛び出したのに…元・伝説のストリッパーが3年越しに訴訟を起こしたワケと裁判の裏にいた「黒幕」
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第88回 『「ひどい時には失禁も」…社会復帰を目指す元・伝説のストリッパーが苦しみ続けた「酒との付き合い方」』より続く
精神のゆがみ
一条は不可解な行動に出た。 76年7月に起きた交通事故に絡み、自分をはねたタクシー会社を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしたのだ。原因は自殺をしようと道路に飛び出した一条の側にあったのだから、まるで言いがかりである。 彼女はすでにゲンと別れていた。ただ、この提訴に彼が絡んでいたのは間違いない。彼自身、「あいつの名誉のために(訴訟を)起こした」と証言し、一条も私のインタビューで、「ゲンがやった裁判」と語っている。その口調からは、ほとんど当事者意識が感じられなかった。 以前のような色恋の仲ではなくなっていたものの、賠償金が取れるのではないかと考えたゲンが、一条をけしかけて訴訟を起こしたのが実態だろう。 驚いたのは加藤重三郎だった。一条はゲンとの痴話喧嘩の末、自分からタクシーに飛び込んでいる。タクシーの運転手や会社はむしろ被害者だと加藤は思っていた。だからこの提訴を知ったとき、彼は一条の精神のゆがみ、生活のすさみぶりを実感した。
メディアが注目した判決
一条が求めた賠償額は、店の休業補償1000万円、67歳までショーダンサーとして働いた場合の逸失利益8000万円。休業補償も逸失利益もずいぶん高く見積もった請求額だ。取れるところから取ってやれというヤクザのやり方だと加藤は思い、嫌悪感を覚えた。 そんな加藤の気も知らず、ゲンは公判での証言を依頼し、加藤はそれを断った。この件で一条を擁護するつもりはさらさらなかった。 裁判中、彼女は被告である駒姫タクシーの関係者に、「ご迷惑をおかけします」と頭を下げた。本人は悪いのは自分で、運転手を含め、タクシー側に対し申し訳ない気持ちを抱いていた。訴訟の意味を十分に理解していなかった可能性もある。ゲンは公判には姿を見せなかった。 大阪地裁は80(昭和55)年3月7日、一条側の訴えを退けた。判決は彼女の損害額を約1500万円と算定しながらも、事故原因は酒に酔っていた一条の過失であるとした。 メディアでは、判決が「ダンサーとして働ける限界は50歳」と認定した部分に関心が集まった。 一条は懲りずに控訴し翌年6月26日、控訴棄却の判決が出た。一時は駒姫タクシー側が、彼女の治療費を負担する条件で和解しかけた。それを蹴って裁判を継続させたのもゲンだった。 『「ようやく普通の主婦になれる」…逮捕歴あり・バツ2の伝説のストリッパーが辿り着いた「最後の結婚」』へ続く
小倉 孝保(ノンフィクション作家)