映画『パスト ライブス/再会』──人との縁、出会いと別れ、どうしようもない運命に涙が溢れるコンテンポラリーなラブストーリー
A24と韓国の大手スタジオCJ ENMが初めて共同で制作し、ゴールデン・グローブ賞では作品賞(ドラマ部門)・監督賞・脚本賞など主要5部門、アカデミー賞でも作品賞と脚本賞にノミネートされた注目作。出会いと別れ、人との縁や運命の不条理さを描き、説明のできない感情に包まれる。鑑賞後にはらはらと涙がこぼれる大人のためのラブストーリー。 落涙必至の映画『パスト ライブス/再会』の写真を見る
セリーヌ・ソン監督の長編デビュー作
午前4時、ニューヨークのとあるバーで目の前に座っている3人の客を眺める他人の視線から『パスト ライブス/再会』は幕を開ける。「あの3人はどういう関係なんだろう」。様々な出自をもった人々が生きるニューヨークのような大都市において、バーやカフェでたまたま居合わせた見ず知らずの人々の会話に耳を傾け、その関係性や人生を想像し、時に邪推するという行為は決して珍しいものではない。 そんな他人からの視線を意識させる長回しのシークエンスは観客がハッと息を飲むような形で終わり、24年前のソウルへと舞台を移す。カメラがゆっくりおりていくと、階段を泣きながら登る少女ナヨンと、それに寄り添う少年ヘソンを、まるで新海誠監督の『君の名は。』(2016)のラストを彷彿とさせるショットで捉える。 監督と脚本を務めたセリーヌ・ソンの長編デビューとなる本作は、12歳の時に韓国からカナダへ移住し、現在はニューヨークで活動している監督自身の実体験をもとにしたパーソナルな作品だが、同時に出会いと別れの不条理さも描く。 フィクションの世界ではストーリーテリングの公式に倣い、定型的な物語として描かれることが多い出会いや別れを、本作は説明のつかない感情とともに106分間描き続ける。納得や説明ができる出会いや別れなど、この世界にはひとつもないという公理を、35ミリフィルムカメラにそのまま焼き付けているのだ。 ■フェイスブックとスカイプで繋がる都市 私たちの出会いや別れを巡る現状は、グローバリゼーションやインターネットの普及、ソーシャルメディアの発展と不可分である。ナヨンから名前を変えてニューヨークで暮らす24歳のノラと、ソウルで暮らすヘソンを再会させたのはフェイスブックとスカイプだ。おそらく舞台はデヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャルネットワーク』(2010)が公開された2年後の2012年で、新しいテクノロジーの登場により、出会いと別れの形が変化していった2010年代初頭の空気を感じることができる。 外と内の境、時に反射して自分の姿も映る「窓(ウィンドウ)」を使った演出が丁寧かつ巧妙になされている本作において、パソコンの画面もまた「窓」である。そんな窓を経由して会話する2人を捉えるカメラの切り返しは、まるでそこに13時間の時差など存在しないかと錯覚するくらい自然に行われ、カメラのパンが上手から下手、下手から上手へと交互に繰り返されることで、ふたりの気持ちがウィンドウの中心へと引き込まれていく感覚が見事に描かれる。劇中では、元恋人の記憶を消してしまう映画『エターナル・サンシャイン』(2004)が引用され、オンライン上に多くの足跡を残す現代人にとって、記憶を消すことがいかに困難かも示唆される。 ■魅力的なニューヨークの街並み 2人はパソコンの画面から飛び出して、24年ぶりにニューヨークで再会する。本編の中でも語られているとおり、ニューヨークに住んでいる人なら、むしろ有名すぎて行かないような自由の女神像を観に行くシーンは、観光映画としての側面もあり、シャープに切り取られた街並みが、都市をもうひとりの登場人物として魅力的に際立たせている。ウィンドウの中と外に存在していたふたりは、ニューヨークの都市の中でようやく同じ画面に収まり、同じ方向へ向かっていく。 同じ方向に向かう2人とカメラの動きは、男女のロマンスというよりも、出会いと別れの不可思議さを強調するものになっており、12歳の頃にした一回きりのデートと同じ印象を受ける。それはヘソンを通して描かれる視点が、兵役のシーンや仲の良いシスジェンダー男性だけの飲み会のシーンなどを配置させているにもかかわらず、絶妙にマスキュリニティと切り離されているからだ。この演出の徹底により、ニューヨークの生活が染み付いたノラにとって、ヘソンは純粋な郷愁の対象として浮かび上がる。上手と下手の移動、2人の関係性の描写、存在感のある都市といった要素が、もっとも際立つのがメリーゴーランドのシーンである。まるで会っていなかった24年の歳月を一気に縮めるように画面左から右へと回転し続けるメリーゴーランドを背景に、36歳になった2人は座りながら会話をする。これまでの人生に想いを馳せながら。 ■”イニョン”で結ばれた登場人物 ノラの結婚相手であるアーサーは、ソウルからニューヨークへ遊びに来たヘソンのことを、少しぎこちない様子を見せながらも受け入れる。自由の女神像が補助線になり、ニューヨークと移民の理想をここに投影することもできるだろう。映画は冒頭のバーのシークエンスに再び戻っていく。「あの3人はどういう関係なんだろう」。この視線に対して、本作は答えを出さない。アーサーは恋敵となる悪役でもなければ、ヘソンはただの友達と言い切れる存在でもない。言葉で表現できる関係はここにはないのだ。 作中では韓国語で縁や運命を意味する「イニョン」という言葉が象徴的に出てくるが、それも出会いと別れの不条理を解決してくれる魔法の言葉にはならない。3人の関係性や、出会いや別れの理由にも、明確な解答は示されず、そのわからなさをわからないまま愛そうとしているところこそが本作のカタルシスだ。ノラが席を立ち、ヘソンとアーサーが2人きりになった瞬間、この世界の秘密が、その美しさを保ったまま現れる。階段を泣きながら登る少女は、まだ胸の中に生きているし、見ず知らずの運転手がハンドルを握る車に乗せられて、私たちはどこか遠くへ、ただただ運ばれていくのだ。 さて、『イニョン』といえば映画作品との出会いもまた不可思議なものである。おそらく『パスト ライブス/再会』は出会うタイミングによって、かけがえのない一本になる可能性を秘めている。監督のセリーヌ・ソンは劇作家であるため、冒頭のバーのシークエンスは非常に舞台的なセッティングで始まるが、そこにズームしていくことで一気に映画的になる。演劇から映画へ、本作で堂々たるデビューを飾ったセリーヌ・ソンの今後のさらなる活躍を期待したい。 『パスト ライブス/再会』 4月5日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開 配給:ハピネットファントム・スタジオ Copyright 2022 © Twenty Years Rights LLC. All Rights Reserved
文・島崎博基、編集・遠藤加奈(GQ)