【連載 泣き笑いどすこい劇場】第22回「苦労」その2
若い女性たちはスリムになるのに目の色を変えているが、力士たちは太るのに命がけなのだ
人生は自分の思うようにいかなくて当たり前。 砂を噛むような苦労はつきものです。 だから、この世はおもしろいんじゃないか、という逆説的な見方をする人もいますが、白と黒の二つしかない大相撲界で居並ぶライバルたちを押しのけ、大きな花を咲かすまでの苦労、辛さはとても言葉では言い尽くせません。 その苦労の中身も人によって実にさまざま。 これは力士たちの苦労、辛さにまつわるエピソードです。 ※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。 【泣き笑いどすこい劇場】第2回「師匠の悲喜劇」その2 根性入れて食え 大相撲界では、体重を増やし体を大きくすることと、強くなることは、同義語のようなもの。どうやって太るか。力士たちはそれこそ日夜、考えていると言っていい。 39歳7カ月まで現役で頑張った寺尾(元関脇、元錣山親方)が、昭和54(1979)年名古屋場所で初土俵を踏んだときの体重は85キロしかなく、これをどうやって100キロ台の大台に乗せるか、というのが下積み時代の寺尾の最大の課題だった。 「とにかく毎日、稽古するか、食っているか、寝ているかの3つのことしか、しなかった。早く太りたくて、とにかくいつも食っていましたよ。おかげでおなかは常にパンパンの満腹状態。横になって寝ると食ったものが口から出てくるので、100キロになるまで夜も壁に寄り掛かって寝ていました。横になるのは明け方、限界まで詰め込んだ食べ物が胃から腸に下りたホンの数時間だけ。食えないとこぼす力士がいますが、食うのも根性。食えないのは根性、もっと言えばプロ意識が足りないからですよ」 と、寺尾は話している。凄まじい執念だ。 この寺尾の体重が待望の100キロ台になったのは十両2場所目の昭和59年秋場所のことで、前場所の97キロから一気に6.5キロ増えて103.5キロだった。つまり、東の空が白々となる明け方まで壁に寄り掛かって寝る生活を5年間も続けたことになる。若い女性たちはスリムになるのに目の色を変えているが、力士たちは太るのに命がけなのだ。 月刊『相撲』平成24年8月号掲載
相撲編集部