質問「子どもに結婚や介護を望むのは古い考えですか?」 - 我知(がち)ーお坊さんに聞いてみる(2024年6月19日)
【質問】 子どもたちも就職する年齢になったので、将来結婚して子どもをつくり、私たちが老人になった時、介護もしてほしいと言ったら、人生を決めつけるのはおかしいと言われました。時代の空気、子の気持ちも分かりますが、私は小さい頃からそう言われ続けて育ち、始まった慣れない介護も頑張っています。人生うまくいかない時もありますが、社会の小さな歯車として努力していく義務と思っていたので、子どもの言葉にモヤモヤしてます。私の考えは古いのでしょうか。 (50代女性) 【回答】 堀内 瑞宏(秋篠寺住職) 【我知なヒント=選択肢を生み出す力を若さと呼ぶことにします】 考えの新旧が問題ではないことはさておき、不確定な未来を前にした老後の人生設計を語る上で、介護が避けて通れない議題であることは間違いないでしょう。だからといって過程を省いて生き方の選択肢だけを下の世代に提示することは非情ではないでしょうか。
選択肢の提示は一見選ぶ自由を与えているように見えて、提示する側の意向に沿わない他の選択肢を排除することにつながるからです。社会の限られた条件下では有効な手段ですが、人生に関わる話である場合、経験も、見定める力もまだ少ない若者にとっては苦痛となり、そのため今回のような拒否へとつながったのではないでしょうか。 俗世坊主の私見ですが、未来の社会を支えるのは若さを持つ者、つまり新たな選択肢を生み出す力を持った者たちです。そんな彼らに時間をかけても、われわれがすべきことは、彼らの行動が死に至らない程度の失敗で収まるように見守ることではないでしょうか。 また、人生は歯車に例えられることもありますが、われわれは歯車になるために生きるのではありません。生きた軌跡が歯車になるのを知るのです。人には得手不得手があり、理想通りには生きられません。だからこそ、できることで社会を支え、できないことは社会に頼ります。大事な人との出会いを含めた半生を振り返った時に、自分一人の力だけで生きているわけではないことを知り、差し出した手と差し出された手が歯車のように支え合っていることに気づくのです。自身の力でその考えに至るまで、周りの者は見守るに止(とど)めるべきなのです。
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