手が離れて流され…白川大水害から71年「早く逃げるが勝ち」伝えたい教訓
白川が氾濫 9000棟以上が全半壊
甚大な被害をもたらした熊本市の白川大水害から71年となった26日、熊本市中央区大江の子飼橋のたもとで慰霊式があり、地域住民が鎮魂の祈りを捧げました。 1953年6月26日。活発化した梅雨前線の影響で、記録的な大雨が降り、白川が氾濫。大洪水となり、9000棟以上の家屋が全半壊、422人の死者・行方不明者が出ました。 参列した住民は「だんだん記憶されている方が少なくなってきているので、伝えた方がいいのではないかと思います。水はやっぱり油断できないと思っておいた方がいいのではないかと思います」と語ります。
「お母さん助けて」つないでいた手が離れて…
未曾有の災害の教訓を、後世に伝えようと活動している人がいます。 「全部堤防が壊れたと同時に、この辺全部、家が一挙に流されたんです」 白川の近くに住む大江第4町内の自治会長、大江校区防災連絡会の田尻康博さんです。当時、大江小学校の3年生でした。あの日は、午前11時の大雨注意報を受けて下校し、自宅で母親、弟と3人で過ごしていたといいます。
「縁の下からドバーッと流れてきたんです。水が家の中に入って、とてもびっくりして、お母さん、お母さん、水が流れてきたよと言って」 避難しようと、大洪水の中、大江小学校へ向かいますが、その途中、母とつないでいた手が離れました。 「びっくりした。手が離れた途端、流されて。とにかく泳いだというか、必死でもがいて、『お母さん助けて』と声にならないけども、そんな感じで流されていった」
自身が体験した川の怖さを、少しでも教えたい、伝承したいという思いで活動しています。 「とにかく氾濫するとは思っていなかった。何とか助かるだろうと思って避難しなかった。そして大江小学校のお友達21名が亡くなっています」 母校の大江小学校でも、児童たちに語りかけました。 「母の必死な形相と雨の降りしきる状況は今でも忘れません。怖かった」
早めの避難の重要性。子どもたちに最も伝えたいことです。 「今まで大丈夫だったからではダメなんです。皆さんにお伝えしたいのは『自然災害からは早く逃げるが勝ち』」 田尻さんと一緒に「早く逃げるが勝ち」と声に出した子どもたち。「大江小学校で、熊本であった話となると、他人事では済まされない」「白川は穏やかな川という感じだけど、氾濫すると危なくなることがわかってびっくりした」という声が聞かれました。 田尻さんは、命を、地域を守るため、これからも活動を続けます。 「自分の命は自分で守るんだということ、共同で助け合うことをどんどんやってもらいたい。私も伝えていきたい」
災害の教訓つなぐ取り組み 最新技術の活用も
71年前の記憶を伝承するため、最新の技術も活用されています。 大江小学校の授業で使われたのは、国土交通省熊本河川国道事務所が大江校区防災連絡会などと連携してつくった動画。1時間に99ミリの猛烈な雨が降った場合、子どもたちが普段遊んでいる校区内の公園がどのような状況になるのか、再現しています。 また、先日、熊本市の中心市街地で行われたパネル展では、下通アーケードが浸水した場合を想定した動画の公開や、体験コーナーも設けられました。 災害の記憶を風化させず、教訓を後世につないでいく取り組みが進んでいます。