バイオリニスト、徳永二男が喜寿記念演奏会 N響コンマスを18年「常に挑戦しなければ」
「29歳でN響に入団させていただきました。それ以前にN響の人たちと一緒にスタジオの仕事をしていました。当時、サヴァリッシュらドイツ音楽の権威が指揮していたN響のコンマスは、東響の10年間がなかったらできなかったと思います。日本の代表的な超一流のプレーヤーがそろい、恐る恐る入りました」
斎藤の教えに「気配り、心配り、目配り」があった。この「3配り」でコンサートマスターの仕事もスムーズにできたと話す。92年から鎌倉芸術館ソリステンを主宰し、96年からは宮崎国際音楽祭総合プロデューサー(後に音楽監督)を務める。
「オーケストラは25年で終わりにしたいと思っていました。自分の中に余力を残し、いろいろなことをやっていきたかったのです」
■「僕もまだ弾ける」
喜寿祝祭オーケストラのメンバーは、バイオリンの会田莉凡(札幌交響楽団コンサートマスター)、漆原朝子(東京芸術大学教授)、扇谷泰朋(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)、ビオラの須田祥子(東京フィル首席奏者)、チェロの古川展生(東京都交響楽団首席奏者)ら著名な演奏家ばかり。多くが徳永の弟子であり、宮崎国際音楽祭に出演している。
徳永は同音楽祭の前身の宮崎国際室内楽音楽祭創設にかかわった世界的なバイオリニスト、アイザック・スターンや、音楽祭に何度も出演しているピンカス・ズーカーマンに教わったエピソードを話してくれた。
「スターンは教え魔なんです。ホールの廊下を歩いていると、バイオリンを持ってこい、と声がかかり、40代のときの指使いはこうしていたが、50代のときはこうだった、と手取り足取り教えてくれました。この経験は宝物のようでした。ズーカーマンのモーツァルトの協奏曲第5番を聴いて、こんな音は聴いたことがない、教えてくれないかと楽屋に行きました。自分の中に理想の音があり、常に工夫し表現する方法を考えます。自分の音をどう表現したいかが一番大切なのです。技術は後なのです。自分が教わったこと、経験したことを全部生徒たちに教えるのです」