『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』なぜティム・バートン版と世界観が違うのか?
2023年12月8日に公開された映画『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』の快進撃が止まらない。都内では公開初日に満席となる劇場が続出し、今もなお多くの観客が映画館へと足を運んでいる。この映画の核となるのは、ティモシー・シャラメが演じる主人公ウォンカの存在だ。空を飛ぶチョコレートをはじめ、色とりどりの魔法のお菓子が描かれるファンタジックな世界、加えてウォンカが伝えるポジティブなメッセージが、観るものをワクワクさせる。 【写真】『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』場面カット(複数あり) しかし『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』で描かれているウォンカのキャラクターには、2005年に公開されたティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の『チャーリーとチョコレート工場』の奇抜なウォンカの面影は見当たらない。ティム・バートン版のウォンカは繊細で変わり者、孤独なカリスマとして描かれていた一方で、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』では、ウォンカのキャラクターは前向きで友達想いな一面が目立ち、良くも悪くも性格に癖が少ないように感じられた。 日本における『チャーリーとチョコレート工場』のマッドサイエンティスト的な要素を持つウォンカのイメージは非常に強固なものであり、地上波での度重なる放送もその人気を物語っている。『チャーリーとチョコレート工場』が描く、自己中でどうしようもなくわがままな子供たちが矯正されていく過程に感じるカタルシスや、教訓めいたダークな世界観を好む人にとっては、今回の『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』は少々物足りない。 この“ウォンカ”のキャラクターに生じたギャップは、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』が1971年公開の映画『夢のチョコレート工場』をベースとしていることに起因している。 監督のポール・キングは1971年の映画『夢のチョコレート工場』への敬意を表しており、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』をその「姉妹編」として位置付けている。確かによく見ると、映画におけるウンパルンパのデザインは、『夢のチョコレート工場』で見られた緑の髪とオレンジ色の顔を引き継いでいることからも、視覚的なつながりが強調されていると考えられる。 一方で、ティム・バートン版の『チャーリーとチョコレート工場』と1971年版『夢のチョコレート工場』も、共にロアルド・ダールの児童書『チョコレート工場の秘密』を原作としながらも、ウォンカの物語を全く異なる解釈で表現している。つまりは、それぞれの作品が原作の魅力を独自の方法で捉え物語を拡張していることにより、観客は同じ“ウォンカ”を多様な形で楽しむことができるのだ。新旧のウォンカ、そしてそれぞれの魅力を比較し楽しむことは、ウォンカを取り巻く物語の多面性をより深く理解するきっかけにもなる。 例えば『チャーリーとチョコレート工場』では、ウォンカの父親は描かれているものの、母親についての描写は見当たらない。ウォンカのキャラクターは歯医者である父親との確執を通して深く掘り下げられている。しかし『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』で描かれているウォンカは、父親がいない環境で育ち、母親からの愛を真っ直ぐに受けて育った青年だ。この映画ごとの視点の変化は、中心にある「家族」というテーマを異なる角度から映し出し、両作品の対比を際立たせている。 また『チャーリーとチョコレート工場』では、ソフト版では藤原啓治が、日本テレビ系『金曜ロードショー』版では宮野真守が日本語吹き替えを担当した。これに対し、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』では、花村想太が吹き替えを務め、歌唱シーンも担当している。ジーン・ワイルダーが歌う「Pure Imagination」を引き継ぐように、4オクターブの高音域を持つヴォーカリストと呼ばれる花村が、主題歌「ピュア・イマジネーション」を歌う場面は、本作を吹き替えで観る最大の醍醐味とも言えるに違いない。 『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』は、大人に響くようなシニカルな面だけでなく、子供たちも純粋に楽しめる夢溢れる世界を巧みに描く。このバランスのとれた表現は、さまざまな年代の観客に愛される理由の一つだ。新しいウォンカの誕生をどう見るのか。チョコレート工場の“これまで”と照らし合わせてみても、面白いだろう。
すなくじら