桐生祥秀「あのリレーがなかったら…」難病と陸上人生を救ったリオ銀
【ベテラン記者コラム】 パリ五輪代表選考会を兼ねた陸上の日本選手権男子100メートルで桐生祥秀は5位に終わった。元日本記録保持者は体調不良などもあって状態が上がらず、「一生懸命、全力で走って負けた。出せる力は出した」。後日、同400メートルリレー代表には選出され、3大会連続の五輪切符を手にした。 【写真】日本選手権で力走する桐生祥秀 2022年の日本選手権後に休養を表明し競技から約3カ月離れた際、東洋大2年時に難病「潰瘍性大腸炎」と診断されたと明かした。「俺の陸上人生、1回終わるのかな」と現役引退まで考えた窮地を救ったのは、16年リオデジャネイロ五輪男子400メートルリレーでの銀メダルだった。 「自分の陸上を久々に称賛してもらえた。あのリレーがなかったら、もしかしたら今陸上をやっていないかもしれない」 世界最速の男も驚いたレースだった。最後の直線、ジャマイカのウサイン・ボルトが右レーンに迫るケンブリッジ飛鳥に仰天のまなざしを送る。さらに大まくりを見せる米国とカナダ。しびれる局面で、日本のアンカーが胸を突き出してフィニッシュラインを越えた。 飯塚翔太が提案した刀を抜く〝侍ポーズ〟で入場時から観客の心をわしづかみにした。「僕がいいスタートを切れば勢いがつく」と心に誓った1走の山縣亮太が抜群のスタート。2走の飯塚が直線で粘ると、「全員、抜いてやろうと思った」という3走の桐生がコーナーで爆走し、世界を混乱の渦に巻き込んだ。 01年から採用する、次走者の手のひらに下から押し込むようにバトンを渡す、伝統の「アンダーハンドパス」を進化させてきた。受け手がほぼ真下に向けていた腕をやや後方にし、腕振りの一番後ろあたりに持ってくるように変えた。朝のミーティングでテークオーバー・ゾーンを最大限利用し、3度のパスそれぞれで40~60センチ前で渡すことを確認。レース直前も日本だけはバトンパス練習を繰り返していた。その結果、合計1メートル50ほどの利得距離に速度が加わり、世界の強豪と渡り合うことができた。 13年に日本代表入りした桐生は、08年北京五輪時のバトンパスのデータを見て驚いた。20~40メートルの区間タイムなど詳細な内容が残されていた。当時のレース映像を見て、4人で話し合ったこともある。日本陸上界の〝遺産〟が勇気を与えた。
その団結力の前に伝説の男もひれ伏した。100、200メートル3大会連続2冠で締めくくったボルトは「ブラジルに来てから2、3回練習しただけの俺たちとは比べものにならない。日本からチームメートを信じ合う力を見せてもらった」と最敬礼。自ら歩み寄り日本の一人一人と握手を交わし、健闘をたたえていた。