【プレイバック’03】NHKスイカップアナ、退社報道で持ち上がった"全国デビュー"への期待
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’03年12月12日号掲載の「NHKスイカップアナ『3月退社で転身!』」をお届けする。 【画像】すごい重量感…大人気だった「スイカップ」アナ秘蔵写真…! 本誌がこの年の7月18日号で報じた”スイカップアナ”ことNHK山形の古瀬絵理アナ(当時26)と、当時モンテディオ山形の監督だった柱谷幸一氏の不倫スクープは大きな反響を呼んだ。そんな古瀬アナの後日談だ。 ◆有名芸能事務所からもラブコール 《「いまはまだ言えないんだけど、私、最近決めたことがあるんだ」 こんなことを言われたら誰だって気になる。それが”スイカップアナ”こと、NHK山形の古瀬絵理キャスター(26)の言葉だったら……。実際、NHKとの契約が切れる来年3月を前に、彼女は友人にこんなことを言っていたというのだ。》 スイカの名産地として知られる山形県尾花沢市出身の古瀬アナは、ローカル番組にしか出演していなかったにもかかわらず、「NHKの巨乳アナ」として一部で知られていた。ネットでの女子アナ人気投票でも、当時人気アナだった「アヤパン」高島彩や「ウッチー」内田恭子と並ぶ人気ぶりだったという。 ところが本誌の不倫報道で「スイカップ」の名前は一気に全国区になってしまった。その注目度は巨乳グラビアタレントで有名な『イエローキャブ』の野田義治社長が「ぜひうちに来てほしい」とラブコールを送ったほど。その他の有名芸能事務所も獲得に動いていると報じられたほか、各マスコミでも騒がれて古瀬アナの周囲はかなり騒がしくなってしまった。彼女自身も今後の自身の身の振り方について悩んでいたという。 その後、11月25日付のスポーツ紙に古瀬アナがNHKに退職を申し出たという記事が載った。当時の本誌の記事では再び慌ただしくなった古瀬アナの周辺の声を紹介している。 《「山形でも彼女の去就は注目されています。最近はNHKの番組でしきりに後任キャスター募集のお知らせをやるようになったし、『本当に辞めちゃうんだなぁ』って。TVには以前と変わらぬ笑顔で出てるんですけどね」(山形在住の会社員)》 《「古瀬さんはあくまでキャスター志望であって、タレントにはなりたくないんです。話し合いが進んでいるのも東京のフリーアナやフリーキャスターが所属するプロダクション数社と地元TV局などで、局側にもそういった方面に進みたいと伝えたようです」(NHK関係者)》 だが一方ではこんな証言もあった。 《「彼女のお母さんは地元の小学校校長を務めるほどの厳格な教育者で、東京行きに大反対してるんです。『地元に残って公務員にでもなれ』と。彼女、公務員になる気はあまりないんでしょうけど、東京行きは悩んでるようです」(前出の友人)》 彼女自身はどう考えているのか。本誌は古瀬本人に直撃取材を試みたが、本人は無言で車に乗り込み走り去って行ってしまった。”スイカップ全国デビュー”の実現はまだ不透明だった。 ’04年3月にNHKとの契約が切れたあと、古瀬アナは久米宏などが所属する『オフィス・トゥー・ワン』と契約する。そして5月30日放送のバラエティー『世界ウルルン滞在記』(TBS系)にリポーターとして出演して”民放デビュー”を果たした。番組収録後の会見では「スイカップ」と呼ばれ、少しムッとして「その名前はもういいかな」と発言。グラビアの仕事をするのかという質問に対しても、あまり乗り気ではなさそうだった。 だが、’06年には『週刊現代』でグラビアデビュー。その後はバラエティ番組でも”スイカップネタ”を積極的に話すようになっていく。’11年に一般男性と結婚し、翌年に1子をもうけてからは露出は減ってしまったが、多くのファンから愛されている。
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