【黒柳徹子】ピアニストのフジコ・ヘミングさんは、「オリジナルの生き方を貫いた、唯一無二の存在」
黒柳徹子さんが、「魂のピアニスト」と呼ばれるフジコ・ヘミングさんについて語ります。 〈画像〉黒柳徹子さんの大好きなお友達、「ピアニストのフジコ・ヘミングさん」
私が出会った美しい人【第27回】ピアニスト フジコ・ヘミングさん
大好きなお友達が、またこの世を去ってしまいました。ピアニストのフジコ・ヘミングさん。「魂のピアニスト」と呼ばれるフジコさんは、抒情豊かな演奏はもちろんのこと、波乱に満ちた人生、いろんな時代や文化をミックスさせたようなおしゃれのセンス、画家としての腕前、世界のあちこちを旅しながら暮らすライフスタイルなど、誰にも邪魔することのできない、オリジナルの生き方を貫いた、唯一無二の存在でした。 最初に「徹子の部屋」でお目にかかって以来、すっかり意気投合してしまったのは、フジコさんと私に共通点が多かったこともあったと思います。どちらも、家族に芸術家がいて、ミッション系の学校で教育を受けて、戦争中は一日大豆15粒だけで過ごしたことがあること、レースやリボンのような、人間の手仕事が感じられる装飾品が好きなこと、動物が好きなこと……等々。「徹子の部屋」でも、グレーのレース編みの手袋がとてもエレガントだったので、「それは、指を冷やさないため?」と伺ったら、「ううん、私は指が太くて手がきれいじゃないから」と。でも、よく見るとフジコさんの手はとてもふっくらしていて、がっしりとしながらも長い指はとても柔らかそうで温かそうで、ずーっと見ていても飽きないぐらいいろんな表情がありました。フジコさんのいう「きれいじゃない」は「不恰好」という意味だったと思うけれど、私は、フジコさんの手をとてもきれいだと思いました。演奏のときに指に魂を宿らせる、本物のピアニストの手だなぁ、って。 フジコさんから「コンサートに来て」と誘われたのは、2004年の大阪城ホールです。そのとき集まったお客様はなんと1万2500人! 1万人以上の会場でのクラシックピアノの演奏会は、当時前代未聞のことでした。「コンサートの収益を、世界中の助けを必要としている子どもたちのために、ユニセフに寄付したいの。徹子さんに直接渡したいから」というのが私を大阪に誘ってくださった理由でした。私が、「生活費はとっておいてね」と言っても、「猫たちの餌代があればなんとかなるわ」なんて、欲がないんです。下北沢のご自宅には、よく遊びに行きました。3階のサロンには、グランドピアノが2台あって、フジコさんが旅先で見つけてきたちょっとした小物やお皿、自分で描いた絵、家族の写真とか、すべてが自分の好きなもので埋め尽くされていて、その部屋のいたるところで猫がくつろいでいます。そうそう、私と大きく違うところが一つありました! フジコさんは菜食主義者なのです。フジコさんのお部屋でおしゃべりしているとき、よく私たちは、フジコさんの好物のポテトサラダを食べたのですが、ポテトサラダに入っているハムを選り分けて食べるのは私の担当でした。 私が、フジコさんから伺ったエピソードで、野際陽子さんの泥棒に入られたエピソードと同じぐらい好きなのが、フジコさんがドイツで精神病院に連れて行かれたときのお話です。フジコさんがドイツに住んでいたとき、遠くの街までコンサートを聴きにいった帰り道、ザンザン降りの雨の中、飼い犬のアンバを乗せてオンボロの車を走らせていたフジコさんは、大型トラックに後ろから煽られて、道で立ち往生してしまったそうです。そうしたら、今度は別の車に乗っていた男たちがフジコさんを車から引きずり下ろして、アンバとは別々の車に乗せられてしまったのでした。男たちはポリスだったのです。フジコさんが連れて行かれたのは、精神病院でした。 取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト Edited by 新井 美穂子
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