「将来、自分に友達はいるのだろうか」と不安な人が知っておくべきたった1つのこと
自分は将来どうなるか……。そんな不安を持つ人は少なくない。「いつまで第一線でいられるか」「いつまで他人と競えばいいのか」、「いまいる友達は60歳になっても友達か」「親友がいないが大丈夫か」「気力体力はどうなるか」「お金は?」「いまのうちにやるべきことは?」など疑問がつきない。そこで本連載では、2025年に60歳を迎える奥田民生の10年ぶりの本『59-60』の中から、民生流 生きるヒントを紹介する。「力まず自然体でカッコいい大人」代表の奥田民生は、これまでどのように考え、どのように働き、どのように周りとの関係を築いてきたのか。その秘密を見ていこう。(構成/ダイヤモンド社・石塚理恵子) ● 「親友」がいない? ときどき「大人になったら友達ってどうなるの?」と聞かれることがある。 「学生時代の友達はいくつになっても友達なの?」とか、「仕事仲間は友達か?」とか、「歳をとっても新しい友達ってできますか?」とか。 60歳で定年を迎えると仕事ばかりしていた人は「金と時間はあるけど一緒に遊ぶ友達がいない」なんて話もたまに聞くから、どんな人でも将来、自分に友達がいるのかは不安に思うのかもしれない。 ● 会わない友達は友達か? 先に言ってしまうと、基本的に俺はいま友達には困っていない。 なぜなら学生時代の同級生や、20代、30代の頃からの仲間とも結構続いているからだ。 昔からの友達とは歳が近いし一緒に遊んでやんちゃもして、一緒に歳を重ねているからお互いにわかることもたくさんある。 なにかあっても「拠り所」というか戻れるところが近くにあるのは「結構助かる」と思っている。 ただ、俺が彼らとしょっちゅう会っているかといえばそうでもない。 俺はこういうよく会ったりはしないけどたまにメールがくる程度のやつから、仕事を一緒にする仲間まで全員「友達」だと思っている。 ● 昔の友達と再び人生は交差するのか 俺は本当に仲のいい友達とは、しょっちゅうどころかまったく会わなくてもかまわない。 たまたま20年間会わなくても、友達は友達だし、なんの問題もないからだ。 そういう友達とは昔から散々一緒に遊んできたから、会わなくなってもそいつらがいまどこでなにをしているかくらいは想像できるし「どこかでなんかしているんしょ」という感じ。 歳をとるとそういう仲間が増えるのも悪くない。 そんな関係がしばらく続いていまに至るわけだけど、その間、そいつらと俺の人生がどこかで再び交差したかといえばそうでもない。 交差も合流もしていない。 このまま一生会わずにお互い死んでしまうのかもしれないけれど、それでもみんな友達だ。 ● 会う回数は減っていく 歳をとると仕事があったり家族がいたりで、友達に会う機会は減っていく。 でもそれを悲観する必要はないと思う。 歳をとるってそういうことでもあるからだ。 ● 知り合い? 友達? 親友? ときどき「友達はいるけど親友はいない」って嘆く人がいるけど、俺は「親友とは?」なんて昔から考えたことがないし「おまえが親友だ!」なんて宣言したこともない(だってそんなの恥ずかしい)。 友達の中でも特に親しいやつを「親友」と言うのかもしれないけれど、俺としては逆に仲がいいやつほど「あんなやつ親友じゃない」という感じ。 むしろ「悪友」という言い方の方がしっくりくる。 俺は友達にランクをつける必要なんてないと思うし、「誰かの一番でありたい」とも思わない。 ● 自分から「友達」だと思えばいい 「そんなに親しくもないのに『友達です』だなんて言えないから俺に友達はいないです」とか、そんな面倒くさいことも言わなくていいと思う。 人間は自分が友達だと思うと相手もそう思うものだから、俺は好きなやつはみんな、自分から友達だと思ってきた。 自分が友達だと思えばそれは友達。友達の定義なんてそれで十分なんじゃないだろうか。 (本稿は奥田民生『59-60』からの抜粋記事です。)