“バドミントン界の至宝”桃田賢斗選手、代表引退を決意した理由を明かす「自分なりの何かを残せたら」<NumberTV>
福士蒼汰がナビゲーターを務め、トップアスリートたちの輝かしい「現在」とそれに至るまでの「挫折」をアスリート本人が語るリアルドキュメンタリー番組「NumberTV」(全24回)。12月5日に配信された第10回は、日本男子で史上初の世界ランキング1位を獲得した“バドミントン界の至宝”桃田賢斗選手が登場。中学3年で日本一、高校3年で世界ジュニア優勝と、若くして「天才」の名を欲しいままにし、「絶対王者」と呼ばれるほどの強さを誇った彼だが、オリンピックのメダルとだけは縁遠かった。1度目は闇カジノ問題、2度目は交通事故と這い上がるたびに試練が降りかかる彼の“挫折と苦悩のキャリア”をひもといていく。そんな中で、桃田選手が4月に発表した日本代表引退を決意した理由を明かす場面があった。(以下、ネタバレを含みます) 【動画】バドミントン・桃田賢斗選手、代表引退の真実を語る ■“無敵の王者”のキャリアとは 同番組は数々のアスリートのドラマを伝えてきたスポーツ総合雑誌「Sports Graphic Number」とLeminoの共同プロジェクトによって誕生した、トップアスリートの人生にフォーカスを当てるオリジナルドキュメンタリー。苦難を乗り越えてきたプロアスリート本人が、個々の競技人生を変えた「最大の挫折」と「復活」の物語を自らの言葉で語るリアルドキュメントとなっている。 第10回に登場したのは、2018年から世界選手権を連覇し、2019年には全英オープンで日本人として初めて優勝を飾り、世界最優秀選手に選出されるなど「無敵の王者」として多くの人々の記憶に鮮烈な雄姿を刻んだ桃田選手。 桃田選手はバドミントンを始めたきっかけについて「近くのクラブチームに姉が行くようになって、母が練習の付き添いで一緒に行っていたんですけど、一人で留守番するのが嫌で体育館に一緒に付いていくようになって、いつの間にか始めてたって感じですね」と語り、「全くラケットに当たらないし、全く楽しくなかったんですけど、逆に練習すれば、回数を重ねれば重ねるほど上達していくのが目に見えて分かるのが楽しくなった」とバドミントンにのめり込んでいった経緯を告白。 また、小学6年生の時に全国小学生バドミントン選手権大会のシングルスで優勝したことを振り返りつつ、「最後の大会で優勝できなかったら、地元の中学校に行って野球をするって父親と約束していて。優勝してなかったら野球をやっていたので、1つの分岐点かと思います」と知られざる秘話を披露する。 ■中学で全国優勝、高校では世界ジュニアチャンピオンに その後、福島の強豪・富岡第一中学校に進学し、中学3年生で全国中学校バドミントン大会優勝、高校3年生では世界ジュニア選手権優勝と日本人初の快挙を達成。高校卒業後は、日本のトップチームであるNTT東日本に入団する。当時を振り返る桃田選手は「ノリにノってましたね。一番調子にも乗っていた時期だと思う。自分のことを天才だと信じ切っていた」と苦笑い。 2016年のリオデジャネイロオリンピック代表が確実視されていた中での違法賭博による無期限の競技会出場停止。出場停止処分が明けて日本代表に復帰した2018年に初めて世界ランク1位に到達したものの、2020年にはマレーシア遠征中に交通事故に遭い、右目眼窩底を骨折し、選手生命の危機に。それらの“挫折”を振り返りながら、当時の思いや挫折を経験したことによって得たものなどについて語る。 そんな中、2024年4月に発表した日本代表引退を決意した理由にも言及。桃田選手は「何かバドミントン界に残したいなっていう。貢献したいっていう気持ちはすごいあったので。自分が代表で動けなくなるまでプレーするのもありだと思いますし、まだ自分が動けるうちに次世代の選手と対峙(たいじ)したり、一緒に練習したりできるのもいいなっていうのもすごく考えて、僕は後者のほうを選んだので、まだ動けるうちに代表を退いて、自分なりの何かをバドミントン界に残せたらいいかなと今思っています」と、打ち明けた。 なお、12月26日(木)にLeminoで配信される第11回は、プロフィギュアスケーターの宇野昌磨氏が登場する。 ◆文=原田健