「うちら変わらへんなあ」人間関係とはその時々で変わる雨水のよう。ふるさとで幼馴染と再会して実感したこと【坂口涼太郎エッセイ】
日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは前回に続き「神戸市西区学園西町の不変〈後編〉」です。幼馴染とふるさとで再会を果たし、お涼さんが気づいた、人の縁の不思議。 【写真】日常こそが舞台。自宅で「お涼」ルーティーンを撮り下ろし ふるさと学園都市に降り立ち幼馴染のおりんと懐かしの小学校や中学校、公園などを変わらへん変わらへん言いながら回り、思い出話に満開の花を咲かせたあと、キャンパススクェアのスタバでコーヒーを買い、目の前にあるユニバードームのベンチに座れば、観に来てくれた演劇の話になり、8列目ぐらいやったけどお涼が出てくるたびにいい匂いした、と言っていて、そんなことある? と話したり、病床に伏す花魁の一重ちゃんがほんまは人形である赤ちゃんをずっとよしよししていて泣けたとか、夫のおみねくんがセットを動かしていた黒子の人たちがすごいと言っていた、という報告を聞き、それはほんまにお目が高い見方で賞を授与したいと話したり、1年半前に神戸の舞台挨拶まで観に来てくれて、しかも気がつけばBlu-rayまで買ってくれていた私の参加した映画「Sin Clock」が病みつきになるわ、などと嬉し楽しく話していた。 おりんは海外旅行が好きで、仕事がルーティンで刺激がないから、一生懸命働いてお金を貯めてはいろんなところに行くのが生きがいやねんと語り、海外ドラマや映画も好きだからコミコンで来日するハリウッドスターと写真を撮れたりサインがもらえたりするチケットを買い、姉妹であらゆるハリウッドスターと合成かと思うような生写真を撮っていて、中でも妹がオーランド・ブルームにバックハグしてもらっている写真は、その浮かれ具合と一見してどういうシチュエーションの写真なのか全く理解が追いつかへん具合が絶妙でひとしきり笑った。 そんな好きなことや趣味の世界に全力でアグレッシブなおりんやけど、おみねくんはどうなんよ、ご趣味とか好きなこととかあるのん? と聞けば、少しの間があり、「家におることが多いかな。前までは山登りとか走るのとかが好きやってんけどな」と、「前までは」ということは何かがあったのかなと思った私の表情を察してか、「実はね」と言って、とても整理された引き出しの中のものをひとつひとつ説明するように話してくれた。 もともと体を動かすことが好きだったおみねくんは3年半前に脳梗塞を起こして4ヵ月間入院し、左顔面と右半身に麻痺が残り、眼振の影響で以前のように体を動かすことができなくなり、いまも痛みや温度を感じないけれど、懸命なリハビリで歩けるようになったらしい。 昨日会ったおみねくんは穏やかでおおらかで体に麻痺が残っているなんて全くわからなかった。 ただとても静かで深い瞳をしていて、きっと深淵を見たことがある人なんだろうな、ということはなんとなく感じていた。 きっと私に悟られないようにリハビリを頑張った体に集中力を注ぎ、振る舞ってくれていたのだと思う。 おりんはおみねくんと出会ったとき、恋愛にあんまり興味がなく、おみねくんとお付き合いすることになったのも、2日連続で遊ぶことが決まっていたのに初日に告白されてしまったから、「ここでお断りしたら翌日気まずくてこの人かわいそう」というほぼ慈悲心からオーケーしたと語り、まあ東京と神戸で遠距離やしラッキーぐらいに思っていたけれど、おみねくんが割とすぐ転勤で神戸に来ることになり、「誤算やった」と冗談混じりで言っていたけれど結婚してるやんか。 その後、おりんが満を持してニューヨークに旅立ち、全力で楽しもうと思うも滞在中ずっと体調が優れず、成田空港で妊娠検査薬を買って調べれば妊娠していたけれど9週目で流産していることがわかり、手術をする処置を待つために入院した部屋がこれから出産するひとたちと同じ部屋で、感じる必要がない自責の念に駆られ、しばらく塞ぎ込んでしまったこと。その期間に見た映画がロンドンが舞台の話ばかりだったから、「このままではいかん」となけなしのお金でロンドンへ行ったこと。そして帰ってきたのとほぼ同時にパンデミックにより海外渡航が制限されたこと。そこから生きがいだった旅ができなくなってしまい、何か新しいことを始めようと仕事の資格をとる研修中におみねくんが脳梗塞になり、家でひとりになってしまったとき、「あたし、おみねくんがおらなあかんのやわ」と気づいたこと。自宅でリハビリをするためにおみねくんが帰ってきて、おみねくんがとなりにいること、声をかけたら返ってくることが嬉しくて、当たり前なんてなかったんやと思ったこと。その後、ふたりで真剣に子どもについて話し合ったけれど、おみねくんはこんな状態の自分には子どもを育てる自信がないと思っていたこと、でもおりんはおみねくんがもしいなくなって、ひとりで生きていくのはしんどすぎるけど、ふたりの子どもがもしいたら、生きる最大の理由になり、救いになると思ったこと。そして、子どもを授かり、無事産まれたので仕事に復帰しようと思ったけれど、保育園がどこも定員オーバーで入れず、いま育休を延長していることを話してくれた。
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