【前編】「ジャパネットたかた」を名物社長から継いだ2代目息子/TV出ずとも過去最高売上を更新、カギはカリスマ脱却
◆「カリスマについて行くだけでいいのか」
入社当初は社長室に所属し、会社の状態を把握。 1年後にバイヤーチームとメディアチームを合わせた部隊の責任者となった。 その後、副社長を務めていた母の提案で「あなたは実績がないから、一人で離れて結果を出しなさい」とコールセンターと物流センターを担当することになり、福岡拠点の責任者を任された。 当時のコールセンターは、配属された社員のうち3分の2が1年以内に離職する「ブラック職場」だった。 クレームに対応してくれない上司などの問題をあぶり出し、7年かけて組織を立て直した。 また、愛知県に物流センターを立ち上げ、配送業者と協力して、顧客に対して家電の設置工事をする仕組みを構築した。 旭人氏には「カリスマ経営者についていくだけの社員より、一人ひとりの社員が考え、自分の意思で動いたほうが何倍も成果が出る」という仮説があった。 コールセンターと物流センターの取り組みを通して、仮説の正しさを確信したという。 「カリスマ経営からの脱却」は、このときすでに旭人氏の頭にあったのだ。
◆◆ジャパネットホールディングス
1986年、髙田明氏が実父経営の「たかたカメラ」から独立する形で「たかた」を設立。 90年にラジオショッピング、94年にテレビショッピングを開始し、明氏自らが出演する通信販売番組で全国区になった。 99年に社名を「ジャパネットたかた」に変更。2007年にはジャパネットホールディングスを設立し、ジャパネットたかたは子会社となった。09年からはV・ファーレン長崎(現J2)のスポンサーとなり、2024年10月14日に開業する「長崎スタジアムシティ」で民間主導の地域創生事業を展開している。