渡辺恒雄氏の「たかが選手が」発言の意図はなんだったのか 「独裁者」であり「偉大なジャーナリスト」…二つの顔に迫る
「たかが選手が」発言
政界やマスコミではすでに超有名人だった渡辺氏が、お茶の間でも知られるようになったのは、読売巨人軍に関与するようになってからだ。 96年からは巨人軍のオーナーを務め、“球界のドン”としても存在感を示すようになった。その頃の渡辺氏といえば、次の発言を記憶している方も多かろう。2004年に球界再編が持ち上がった際、当時の選手会長、古田敦也選手がオーナー側との会談を望んでいる、と記者に水を向けられ、 「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」 などと言い放ったのだ。今では考えられないことだが、当時、パ・リーグとセ・リーグの人気の差は甚だしく、1リーグ構想にはある程度の現実味があった。が、これが世論の反発を招き、プロ野球の1リーグ構想は頓挫することになった。
「悪名を覚悟して再編問題の矢面に」
「渡辺さんは試合の勝ち負けにはこだわり、“負け試合を見せられるのは拷問だ”という人でしたが、野球の奥深さや細かなプレーの面白みにはさほど興味を持ってはいないようでした。そこでつい口を突いて出たのが“たかが選手が”発言だったのでしょう」 そう話すのは、元読売新聞社会部長で、元巨人軍代表の山室寛之氏である。 「私が巨人の代表になった時、渡辺さんに“巨人の代表はあることないことを書かれるが、悪名は無名に勝るぞ”と言われたことがある。まさに渡辺さんは悪名を覚悟して再編問題の矢面に立ちながら、自らの失言によって1リーグ構想を立ち消えにさせてしまった。オーナー辞任後にある新聞は球界は風よけを失った、と書いた。的を射た表現だと思います」 12月26日発売の「週刊新潮」では、毀誉褒貶が激しい渡辺氏の一生について、原点となった戦争体験やその後の共産主義への傾倒、政界での暗躍など、さまざまな角度から検証している。 「週刊新潮」2025年1月2・9日号 掲載
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