なぜ"夏男"呂布カルマは「夏を疑い始めた」のか「まぶしい夏は二度と取り返せない」
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『夏』について語った。 * * * ★今週のひと言「自称"夏男"だった俺が夏が嫌いになった理由」 今から二十数年前、確かに俺は"夏男"と自称するぐらい夏が好きだった。 俺だけじゃなく、割と活発に外へ遊びに出るタイプの若者は、みんな夏のとりこだったのではないだろうか? ちなみに俺は学生時代、漫画をひたすら描いていたのでインドア派かと思われがちだが、実は漫画は授業中や本来勉強に充てられる時間に描いていたので、それ以外の時間は友達とだいたい外で遊んでいることが多かった。 何せ夏休みがある。 童貞だった俺にとって、クリスマスや肌を寄せ合うことで幸せを感じられる系の冬イベントはなんの意味も持たず、一年を通してぶっちぎりで楽しめたのが夏休みだった。 当時はショッピングモールなどなかったので、特に意味もなくひたすら近所の公園や西友に友達とたまっては「今日は何をして遊ぼうか」とみんなで考えていた。夜中に海に行ってみたりね。男たちだけで。 そして何より、夏が今ほど狂ったように暑くなかったのも大きいな。今の若者も同じように遊んでいるんだろうか? この暑さじゃ外で遊ぼうなんて気は起こらないかもな。外に出られなきゃ、夏なんかなんの魅力もない。 しかし、俺が夏を疑い始めたのは、この異常な暑さ以前の問題だ。 先述のとおり、夏の魅力を最大限担保していた夏休み、あれは当たり前だが学生だけの特権だ。大学を卒業して貧乏暇なしフリーターとなった瞬間から、夏はクソ暑い中仕事するだけの、ただの試練の季節へと姿を変えたのだ。 20代の多くの時間をカラオケ店の深夜バイトや害虫駆除のバイトに割いていた俺は、全身全霊で夏休みをエンジョイする、ほとんど年も変わらない大学生たちを尻目に休みなく働いていた。 カラオケ店ではマイクが入らないと部屋から連絡があり、向かってみれば決まってマイクセンサー部分を監視カメラと勘違いして目隠しをしてふさいでいる学生カップル。 そこをふさがれますとマイクは入りませんよ。 入室からずいぶんたってからマイクの不調を訴えるということは、今までSEXしていた証拠だ。 そして忘れもしない、害虫駆除のバイト時代。その日、俺はコンビニの駐車場にクルマを止め、大量の殺虫剤や清掃器具を積んだ車内で朝食のコンビニ弁当を食べていた。そんな俺のクルマに隣接して駐車してきた大型車から楽しそうに水着姿で出てくる大学生の男女の集団。 これからみんなで海にでも行くのだろう。 一方で俺は、分厚い生地の長袖の作業着を着込み、これから薄汚れた飲食店の厨房(ちゅうぼう)機材の下に潜り込んでゴキブリと格闘するんだよ。 楽しそうな若者たちと自分の置かれた現状とのギャップに苛(さいな)まれ、当然、次第に夏自体の価値も下がっていった。もちろん、そのギャップは一年中あるのだが、特段夏場はその差が強く感じられたわけだ。 今となっては俺自身は日常的にそんなギャップを感じるようなヒドい目には遭ってないが、おっさんにとっては若者が楽しそうにしているだけでしんどい。 どんなに大人になってから成功してるように見える人でさえ、学生時代の青春に思いをはせることもあるだろう。 あのまぶしい夏は二度と取り返せないのだ。 唯一の救いといえば、夏場に各地で開催されるグラドル水着プール撮影会でのカメラ小僧(とはいえ、おっさん)たちによる成果が、SNSにあふれることぐらいか。 撮影/田中智久