M―1審査員就任も納得!“日本一の女性漫才師”海原やすよともこの凄さとは?
“女芸人マニア”として知られているお笑いコンビ「馬鹿よ貴方は」の新道竜巳が、これから“馬鹿売れ”しそうな女芸人を紹介するこの連載。今回は特別編としてすでに売れまくっている大ベテランで、「お笑いをやるために生まれてきた」とも言うべき“日本一の女性漫才師”を紹介する――。 【写真】海原やすよともこの師匠である大御所漫才師 【プロフィル】 コンビ名‥海原やすよともこ 結成‥1992年2月 師匠‥中田ボタン 所属‥吉本興業 妹‥海原やすよ(立ち位置左) 生年月日‥1975年10月14日 姉‥海原ともこ(立ち位置右) 生年月日‥1971年12月27日 師匠に弟子入りして芸人生活をスタートさせました。結成の1992年をデビューとすると、同期は92年に卒業した大阪NSC10期生でメッセンジャーさん、桂三度さんら。中川家さんと仲が良いので11期と同期と思われがちですが、正確にはやすよともこさんの方が1年先輩になるようです。 とにかく血筋が「お笑いをやるために生まれてきた」と言っても過言ではありません。67年の第2回上方漫才大賞を受賞した「海原お浜小浜」の小浜さんが祖母、漫才コンビ「海原かけるめぐる」のかけるさんが父、マジシャンのワンダーのり子さんが母です。なお父の相方だった海原めぐるさんは、現在の池乃めだかさんです。 とにかく漫才が面白い! ネタの作り方は独特で、たった2枚の台本で10分の漫才をするそうです。漫才で2枚の台本を一言一句きっちりやると、大体4分ぐらいになるのが一般的です。それを10分やるのは、漫才の半分以上はアドリブで、その場の雰囲気などでセリフ量が増えているということです。 台本自体も独特で、しっかりとセリフを書き込んでいるわけではなくセリフのきっかけが書いてあるだけ。アドリブを入れやすいような台本にしているのかもしれません。セリフが決まっている漫才ではないので、見ている側はその場で普段通りにしゃべっているようにしか見えません。 普段はほとんどの活動を関西でやっておられますが、関東の女性漫才師もネタを見ると、やすよともこさんをリスペクトしているコンビがとても多いと感じます。若手にとってはそれほど憧れの漫才師なのです。 ともこさんは昨年、M―1グランプリ決勝の審査員を務めました。ただお笑いファンの間では、だいぶ前から「審査員に海原やすよともこは入らないのか?」とずっと話題になり続けていました。 昨年のM―1のオープニングで審査員を紹介される時も、司会の今田耕司さんが「ずっとオファーは行ってたと思うのですけど…」と話す場面があり、やはり以前から審査員を待望されていたことがうかがえました。 ともこさんは「漫才の説明が難しくて。感覚でやっちゃってるもんですから…」と、不安を抱えながら審査員を引き受けたことを明かしていましたが、思い切って引き受けてくれたことで見応えが増したように思います。 昨年のM―1は、トップバッターの令和ロマンが優勝しました。ともこさんは「トップなのにトップだということを忘れるぐらい会場を巻き込んでいたので。あんまり動かなさそうな人がめちゃくちゃ動いてたから、もっと怖い感じかなと思ってたんですけど、私は好みだなと。顔じゃないですよ、漫才のスタイルですよ、いいなあと思いました」とコメントされていました。 令和ロマンの点数はトータル648点で、7人の審査員のうち最高点の94点をつけたのがサンドウィッチマンの富澤たけしさん、中川家の礼二さん、そしてともこさんでした。トップバッターは大会の基準になるので高得点をつけるのはなかなか勇気がいることだと思います。しかもともこさんにとってはM―1で初めて点数をつけるのが令和ロマンだったのに、いきなり94点をつけた。超一流の漫才師だから当たり前といえばそうかもしれませんが、いきなり自身の思ったとおりの点数をつけられるのは簡単なことではないでしょう。 漫才だけでなくトークもメチャクチャ面白いのがやすよともこさんのすごいところ。今後も“関西の顔”として長く活躍されるのは間違いないでしょう。 ☆しんどう・たつみ 1977年4月15日生まれ、千葉県出身、本名・濱島英治郎。平井“ファラオ”光と組む「馬鹿よ貴方は」として「THE MANZAI」「M―1グランプリ」で決勝進出を果たした実力派。緻密なネタ作りに定評がある一方、女芸人ナンバーワン決定戦「THE W」では、予選会場に足しげく通い、ほとんどの出場者のネタを見るほどの“女芸人マニア”。
新道竜巳