【終戦79年】世界の平和に思い寄せ(8月16日)
いたいけな命、身を寄せ合う家族、罪なきいくたの人々が苛烈な銃火の犠牲になっている。戦下の悲しみ、苦しみをわが身に重ね、心を痛める県民は多いに違いない。終戦から79年。世界の恒久平和を祈り、日本は国際社会と無縁ではいられぬ現実も改めて胸に刻みたい。 世界の分断は市民社会に立ち入り、不戦の至純な願いを踏みにじる。今夏の原爆の日は象徴的だった。平和祈念式典にイスラエルを招待しない長崎市に対し、米欧の大使が抗議の欠席をした。「政治的理由ではなく、不測の事態を総合的に勘案した」との市側の説明に対し、ウクライナ侵攻を続けるロシア、支持するベラルーシにイスラエルを同列化する行為だと異を唱えた。 パレスチナ問題の根は深く、軽々しくは語れないとはいえ、パレスチナ自治区ガザでの惨状は筆舌に尽くし難い。イスラエル側の大義を超え、日本と世界の心ある人々は一日も早い解決を望んでいる。平和を求める国内外の声に呼応する一地方自治体の主体性を、国家間の同調圧力で封じ、不戦への民意の共感を妨げる。そんな構図の末路に憂慮を禁じ得ない。
関係国は、イスラエルとロシアは同じという誤ったメッセージを国際社会に発しかねないとの懸念を示したが、不毛の争いを否定する真意こそ世界に正しく発信されるべきだ。平和を誓う原爆の日に禍根を残す結果を許した政府、政権は不戦の根幹が揺らいでいまいか、疑問も湧く。 パリ五輪は、「平和の祭典」を演出する数々の趣向が練られたものの、開催中の休戦は有名無実化したまま閉幕した。冷え込む日中関係にあって、互いの健闘をたたえ合う選手の姿が印象に残る。日本勢メダルラッシュの余韻の中で、人のつながりは決して非力ではないとの希望も忘れずにいたい。 来年、終戦から80年を迎える。軍備を競い合う先に、国際社会が協調した穏やかな景色は見いだせない。戦後日本は、防衛力の抜本強化にかじを切っても、大戦の教訓は政治の場で風化せず保たれるのか、注視していく必要がある。 多難な戦中戦後を生きた人々は、春秋を重ねて限られてゆく。戦禍の記憶を継ぎ、平和をつなぐ現世代の責任は重みを増す。(五十嵐稔)