元祖「韓流セクシークイーン」アン・シネ独占インタビュー「日本で優勝するために私は戻ってきました」
「今もインスタグラムのコメント欄に日本のファンから応援メッセージが届きます。だからこそ、再び日本に来られて嬉しい。日本の食事も大好きなので、楽しみですね(笑)」 【画像】嬉しいハプニングが…!アン・シネ 衣装から鍛え上げられた美しい"ウエスト"チラ見え写真 その笑顔は、最後に日本でプレーした4年前からまったく変わっていなかった。 韓国ゴルフ界の「セクシークイーン」として一躍話題となったアン・シネ(32)が、日本に帰ってきた。11月2~5日に行われた韓国国内ツアーで2年4ヵ月ぶりにプロの舞台に復帰。さらに11月21日から埼玉県で行われている来季の日本ツアー前半戦のシード権を懸けたQT(予選会)ファーストステージに参加中だ。 再びプロの舞台に舞い戻ったアン・シネ。都内のホテルで取材に応じた彼女は30代になった今も若々しく、私服姿も相変わらずお洒落だった。 ’19年にQTに挑戦した際は25位に入り、彼女は翌年の日本ツアーの出場権を確保した。だが、コロナ禍で参戦を断念せざるを得なかった。当時は「悔しい気持ちでいっぱいだった」と語る。 「ショットやパットの感覚もすごく良かったので、’20年シーズンに向け自信はありました。ただコロナ禍で、日本と韓国を行き来すると、それぞれの国で2週間の隔離が必要になる。その中でプレーすることは現実的ではありません。ファンにもようやく良いプレーを見せられると思っていただけに、ショックが大きかったです。それなら思い切って休んでみようと思ったんです」 毎年、ツアー生活を続けてきた彼女にとっては、初めての長期休養だった。「クラブも握らず、旅行を楽しんだり、親友と食事したりとゆっくり過ごしたのは人生で初めてでした」と振り返る。 休養中も推薦での韓国ツアー出場のオファーは来ていた。アン・シネ自身、復帰への想いももちろんあった。’21年7月、一念発起して韓国ツアーへの参戦を決める。しかし、結果は残酷だった。2日間で通算13オーバーの117位タイ。最下位での予選敗退だった。 「プロとしての自信を失い、大きな壁にぶち当たった日でした。試合で競う実力を失ったんだと本当に落ち込みました……。引退の文字が頭をよぎりましたね」 ◆背中を押した「家族との絆」 もうゴルフは諦(あきら)めよう――。そう心に決めて1年が経過した’22年。アン・シネはリフレッシュも兼ねてアメリカのカリフォルニア州へ足を運んだ。その滞在先からほど近いところで、米女子ツアー予選の1次会が行われていることを知る。 「どれだけ諦めようと思っても、心の片隅に試合に出たい気持ちはずっとあって……。今の自分の実力を知りたいという思いが強く、エントリーしました」 競技から距離を置いていても、プレー自体は続けてきた。しかし、予選会の前日にはプレッシャーに襲われる。練習日、ほかの選手に比べ、技術もフィジカルも劣っている自らの現実を突きつけられ、母に電話して大泣きしたという。すると母は、優しくアドバイスをくれた。 「今までもパワーや技術が足りない部分もあった。でも、あなたにはショートゲームの技術がある。他の選手よりも勝る部分を伸ばしてプレーすればいい。そんなに神経を擦り減らす必要はない」 母に励まされ、今までの自分のプレースタイルを貫いた。勇気を持って試合に挑(いど)むとゴルフがうまくまとまったという。 「4日間を通して戦って、一次予選を突破することができたんです。『自分はまだやれる!』と大きな自信を得ました」 この頃から復帰への思いがふつふつと湧(わ)き始めた。練習も再開し、今年7月には日本ツアーのQT参戦を公表した。 取り戻した情熱。しかし、アン・シネにはもう一つ気がかりがあった。それは、自身を鍛え上げてくれた父との確執だ。 「アボジ(韓国語でお父さんの意)は’16年にすい臓がんを発病しました。闘病生活を経て体調は回復したのですが、今度は肺がんが見つかり、今も病院で生活を続けています」 すると突然、アン・シネは言葉を詰まらせ、化粧が落ちるのも気にせず涙を流した。クールビューティーなイメージとは真逆の姿に、こちらが戸惑った――。 彼女の父親のゴルフ指導が厳しいのは韓国では有名で、アン・シネは「それに嫌気がさしてケンカをした」と明かす。病気だと知りながらも素直になれず、1年ほど音信不通が続いていた。そんな中で今年11月、日本参戦の報告もかねて、勇気を振り絞って父に電話をかけた。 「最初は何と言われるか、想像もつきませんでした。しかし、私がゴルフを続けていること、日本にいると伝えるととても喜んでくれました。QT突破の報告ができれば、これ以上ない親孝行です」 最後に、なぜ日本にこだわるのかという疑問をぶつけた。「挑戦を決めた理由の一つは両親への恩返し」だと言うが、一番の動機は別にある。それは日本が大好きな場所ということだ。 「日本のファンは私を愛してくれました。日本を離れてからも寄せられる多くのメッセージに、ファンがどれだけ私を待ってくれているのか感じています。ツアープレーヤーとしても最後にプレーした場所。この国で優勝するために、私は戻ってきました」 プロゴルファーとして、アスリートとしてのプライドも失っていない。 「挑戦もせずに終わりを迎えることには、どこかで悔しさが残っていました。でも今はゴルフをしたい、ベストを尽くしたいという気持ちが強いです。話題性で注目されることにプレッシャーはありますが、次は″プロゴルファーとしてのアン・シネ″を見せたいと思っています」 試合に出たいという純粋な気持ちと、両親と日本のファンへの思いがアスリート魂に火をつけた。アン・シネのプロキャリア第2章の幕が開こうとしている。 『FRIDAY』2023年12月8・15日号より 取材・文:スポーツライター・金明昱(キム・ミョンウ)
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