610馬力の「EB110」を引っさげブガッティ復活! 牽引したのはひとりの男の壮大なビジョンでした【ブガッティ・ヒストリー_02】
現代に至るハイパーカーの先駆け
鬼才スタンツァーニが、まったくのゼロから設計したEB110は、20世紀の自動車テクノロジーの粋を集めた、究極のハイテク・ハイパースポーツであった。ボディ/フレームからエンジン/駆動系に至るまで、革新のテクノロジーがふんだんに投入されたこのモンスターは、それ以前のスーパーカーの代表格、例えばフェラーリなどよりも遥かにハイレベルなテクノロジーと精度が追求されていた。 ボディ/フレームは、この時代ではまだ希少だったカーボンモノコック。3500ccのV型12気筒4カムシャフト60バルブという緻密を極めたエンジンには、さらに低中速域のトルクを補うべく、じつに4基のIHI(石川島播磨工業)社製ターボチャージャーを装着。スタンダードに相当する「GT」で560ps、高性能&ライトウェイトバージョンの「SS」では610psという途方もないハイパワーを発揮した。そして、のちに「マクラーレンF1」によって破られるまで、市販車では世界最速となった351km/h(SS)の最高速をマークするなど、そのパフォーマンスは当時のスーパーカーの頂点を大幅に上回るものであった。 しかも、フルタイム4WDシステムによって高度なハンドリングを達成しつつ、あらゆる路面状況下における素晴らしいスタビリティをも確保したEB110シリーズの誕生は、その直前まで世界のスーパースポーツの頂点の座に君臨していたフェラーリ「F40」やポルシェ「959」などの名作たちを、一気に旧世代の遺産へと追いやることとなってしまう。それはまさしく、現代に至るハイパーカーの先駆けだったのだ。 一方ボディデザインは、開発初期にはランボルギーニ「カウンタック」やチゼタ「V16T」などの作品で、すでに巨匠の地位を得ていたマルチェロ・ガンディーニ氏に委ねられたものの、彼のもとで出来上がった試作モデルは「ブガッティのブランドイメージに合わない」と判断されてしまったことから、比較的早い段階で放棄。正式発表を迎える直前に、ブガッティ社の副社長でもある建築家、ジャンパオロ・ベネディーニが主導する社内デザインへと大きく軌道修正されることになった。 いっぽう、それまで副社長のポジションを与えられていたスタンツァーニは、インドネシアの財閥メガテック・グループが裏で糸を引いていた……? とも噂されたクーデターに連座。自らがブガッティ・グループの社長になろうとしたことからアルティオーリの逆鱗に触れ、あえなく解任。後継の技術部門マネージャーには、フェラーリF40の開発を指揮したことで知られるニコラ・マテラッツィが就任することになる。 そして、このような人事のもたつきなどの影響も受けた結果、EB110の開発は大幅に遅れ、正式な生産モデルのデビューは、1991年のパリ・デファンスにおける発表セレモニーまで持ち越されてしまったのである。
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