能登の地酒作りに密着した「一献の系譜」シネマ・ロサでチャリティー上映会開催
石川・能登の地酒作りに密着したドキュメンタリー映画「一献の系譜」が、能登半島地震および豪雨の復興支援のためチャリティー上映されることが決定。1月11日に東京の池袋シネマ・ロサにて開催される。 【動画】“杜氏”を追ったオムニバスドキュメンタリー「一献の系譜」予告編はこちら 本作は、日本特有の醗酵技術を持つ酒の造り手集団“杜氏”を追ったオムニバス作品。日本四大杜氏の1つである能登杜氏の仕事を通して、本物にかける職人やそれを追いかける後輩たちの姿、日本人と農地との関係を映し出す。「ひとにぎりの塩」の石井かほりが監督を務め、篠原ともえがナレーションを担当した。 上映会後にはトークショーや地酒の試飲会も予定しており、ゲスト蔵元として輪島市の白藤酒造店、能登町の松波酒造、能登町の鶴野酒造店が参加。当日の売り上げの一部がほくりくみらい基金に寄付される。チケットは劇場のチケットサイトで販売中だ。主催者である池袋シネマ・ロサの伊部知顕と石井のコメントは下部に掲載した。 ■ 「一献の系譜」チャリティー上映会 2025年1月11日(土)東京都 池袋シネマ・ロサ 開演 13:00 料金:税込3000円(飲食代含む) <登壇者> 白藤暁子(輪島市・白藤酒造店)/ 金七聖子(能登町・松波酒造)/ 鶴野晋太郎(能登町・鶴野酒造店)/ 石井かほり(司会) ■ 伊部知顕(ロサ映画社代表取締役社長)コメント 2023年(令和5年)11月12日、僕は初めて能登半島に降り立った。緑と紅葉が半々の森の中に「のと里山空港」はあった。空港を出た瞬間、透明感のある空気が口に入ってきた。その日はたまたま大雨であったが、それもまた自然の一部に感じた。レンタカーを借り「のと里山海道」を走ると、途中海外沿いの道に出た。日本海が荒々しく波打っていた。早くも冬の海であった。海岸沿いに所々塩田を見た。これが能登伝統の揚げ浜式塩田である。目的地につくまでに能登半島の生活の一端と厳しさを見た。今回の旅の目的は「奥能登国際芸術祭2023」を見に行くことだった。各会場では地元のお爺ちゃんやお婆ちゃんが、一生懸命芸術際を盛り上げていた。たくさんの地元の人たちと交流し、お昼には美味しいお魚を頂いた。芸術際で盛り上がる能登の人たちの笑顔にたくさん出会えた。そして一月半後の2024年(令和6年)1月1日。新しい年のはじまりに能登地震は起こった。テレビをつけて能登の光景を見た瞬間、能登の人たちの笑顔を思い出した。あのお爺ちゃんやお婆ちゃん達は無事だろうか。祈るような気持ちだった。そして初めて地震を身近に感じた。さらに9月21日からの豪雨である。神様はなんて惨いことをするのかと思った。これは能登の人だけでなく、日本人、そして人類に対してのメッセージなのか? 震災から3日後の1月4日に、母校暁星小学校の同級生である岩城慶太郎君から「能登の映画を上映してくれないか」と連絡がきました。彼は初めて能登半島を訪問した時にも、現地を案内してくれたのです。もちろん二つ返事で了解しましたが、中々上映の機会を作れず一年越しにチャリティー上映が実現しました。石井監督の「一献の系譜」は、能登の生活や文化の一端を知ることができる素晴らしい作品です。僕の中では「能登を忘れない」というメッセージを伝えたいと思っています。この映画を見た人それぞれができることを考え、行動に繋がることを祈ります。最後に今回の上映会にご協力頂いた皆様全員に感謝申し上げます。 ■ 石井かほり コメント 2009年に能登半島に初めて降り立ってから約十年、能登と深く関わって来ました。その間、能登を舞台にドキュメンタリー映画を二本監督。その他、能登の食材イベントや着地型ツアーを企画するなどして、今のわたしの根幹は能登半島で作られたと感じています。2024年は、年明けの大震災と9月の豪雨で、まさに激動の一年でした。発災直後から映画屋の生命線である「上映権」を放棄した「チャリティ上映会」の呼びかけは、瞬く間に国内外に拡がり、230件を超える申し込みと1,400万円を超える寄付金を能登へ送ることができました(現在も上映希望者募集中)。9月の豪雨以降は、泥かき要因として現地に出向き、災害ボランティアの敷居を下げる試みもして来ました。拠点を東京に持ちつつも魂は能登に在るという感覚で、「能登とは関係が無いが何か応援したい!」という方々の想いを能登へつなげる「道しるべ」のような役割を務めて参りました。しかし、内心は様々な想いがありました。最初は映画で観た素晴らしい里山里海の再建を夢見ていました。しかし、被害の大きさに同じ景色は二度と観られないのではないかと思った時、どこに向かえば良いのか分からなくなりました。そして、どんなに能登を身近に想っても、到底被災した方の辛さは理解できないことに切なさも感じました。それでも、この先もあの地で暮らすと決めている人たちの顔が思い浮かぶ以上、応援するぞ!と、気持ちを奮い立たせて来ました。それに、能登へ行くと能登の方々のタフさに却って元気をいただき、「自然と共に暮らす」とは、恩恵を受けるだけでなく、その厳しさも享受する覚悟を持つということなのだと、自分が能登の何に惚れ込んでカメラを回して来たのか改めて気づかされたりもしました。しかし、9月の豪雨でギリギリ踏ん張って来た一本の糸が切れてしまった気がしました。それは能登に暮らす方々の様子からも感じられ、能登の人たちから笑顔が消えたようにも感じる出来事でした。それに公助の手薄さや都心部の能登関連の報道の少なさは、短期で経済効果が見込めない土地は切り捨てるという無言の抵抗勢力のようにも感じられ、前に進む勇気を失いかけたりもしました。でも思い返せば、映画を撮影した時も、都心部の便利な貨幣社会こそが正解で、不便で厳しい環境を不正解として切り捨てて来た現代社会への憤りと問いかけを根底に持って制作していたので、今更自分が「マイノリティ側」であることに自信喪失し、立ち止まることも違う気がしました。映画の問空しく、地方の過疎は進み農業は手放され、文化や祭りがいくつも消滅しているのに、都市の一部だけが“開発”され続けている今の日本は、世界経済の中でどうなったでしょうか。では、もう手遅れなのか?と言えば決してそうではないことを、今回のチャリティ上映活動が証明してくれたようにも思うのです。チャリティ上映で集められた巨額の寄付金は、能登に寄せられるたくさんの方々の想いそのものなのだから。また、能登が好きで東京から移住し、被災した後はボランティアの受入れ拠点となった方が、「もちろん、未来に不安はある。だけど、震災が無くても20年先には同じ問題と向き合うことになっていたと思うし、もしかしたら成す術無く終わっていたかも知れないところを、震災が起きたことで注目され、本当にたくさんの方が援助くださっているので、“新しい時間を刻む時計”を手にしたような感じがしているんです。だから不安はありつつも、まずは“実践者”として、自分が愛した里山の再建に取り組もうと考えています」と話してくれました。わたしの心に支えていたものが一気に流れるのを感じました。能登に根を下ろしていないわたしはとても脆く、ノイズに度々心折れそうになります。しかし、厳しい状況下でも確かに一筋の光を見ながら前に進もうとしている“土地に根付いた強い言葉”はわたしの背中を再びしっかり押してくれたのでした。さあ、みんなで“新しい時計の針”を進めて行こうじゃありませんか! ©2015 映画一献の系譜製作上映委員会/ Ikkon- Film Partners