髙橋海人の“痛み”は“1995年の少年たち”の救いに 『エヴァ』『未成年』と重なる『95』
1995年の少年たちは何を心に抱えていたのか
岡崎京子の漫画を映画化した『リバーズ・エッジ』や、韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』の日本版リメイクの映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』など、90年代を舞台にした映像作品は近年増えているが、多くは主人公が女子高生で、『未成年』のような少年に焦点を当てたものは少ない。 だからこそ、その隙間を補完した14歳の少年の鬱屈した内面を描いた『エヴァ』が大ヒットしたのだが、『95』を観ると当時の少年がどんな気持ちを抱えて鬱屈していたのかが、とても理解できる。 『未成年』も『エヴァ』も傷ついている同世代の少女に対して何もできない自分の無力さに対する苛立ちが強く描かれていた。その苛立ちこそはQの抱える鬱屈の根底にあるもので、そんなQにチームの仲間・ドヨン(関口メンディ)が「傷ついてるのか?」と問いかけ、Qの痛みを共有しようとする姿は、本作でももっとも美しい場面だ。 あのシーンを観て、自分も含めたあの時代の少年たちは、他人の痛みを自分の痛みのように感じ、深く傷ついており「傷ついてるのか?」と、誰かに声をかけてもらいたかったのだと気づかされた。 当時の音楽やファッションが映像の中に多数ちりばめられている本作だが、Qたちが抱える「痛み」こそ、一番懐かしく感じる。
成馬零一