ロン毛の秘密~コールドスプリングハーバー(前編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第52話 今回は、筆者がエイズウイルスを専門に研究していたときに参加していた、アメリカでの研究集会の話題。当時、ニューヨーク州・コールドスプリングハーバーには、世界トップレベルのエイズウイルス研究者が集まっていた。 【写真】コールドスプリングハーバー研究所の最寄り駅ほか * * * ■エイズウイルスの研究をしていた頃の話 前回のコラム(51話)で昔のことを思い返していたらちょっと懐かしくなってしまったので、今回は、京都で過ごしていた頃の昔話、特に、当時の海外出張のことなどをすこし振り返ってみようと思う(ちなみにこれは、韓国から帰る飛行機を待つ、金浦国際空港のラウンジで書いています)。 この連載コラムでも何度か触れたことがあるが、新型コロナの研究を始めるまで私は、エイズウイルスを専門に研究していた(5話)。京都大学の大学院に進学してから13年間、そして、東京に異動してからの最初の数年間は、「レトロウイルス」と呼ばれる、エイズウイルスやそれに関連するウイルスの研究をしていた。 エイズウイルスに関する研究をしている時にも、私はもちろん海外の研究集会にはできるだけ参加するよう心がけていた。しかしその行き先のほとんどは、アメリカである場合が多かった。 これは、私が専門に研究をしていたエイズウイルスの「分子ウイルス学」という研究分野の最先端をいくのがアメリカであったことと、そしてなにより、世界のエイズ研究を牽引しているのがアメリカだから、というのが大きな理由である。
■はじめてのアメリカ ちなみに、私の初めての海外学会は、2007年2月、アメリカのロサンゼルス。右も左もわからないけれど、金魚のフンのように教授や誰かのお尻についていくのは嫌だったので、ひとりで航空チケットを予約し、ロサンゼルス国際空港からダウンタウンまでの地下鉄の路線を調べた。 当時はポケットWi-Fiやスマホなどはなかったし、英語はほとんど話せなかったので、アメリカでリアルタイムに誰かと連絡する手段はなかった。そのため、必要そうな情報はすべて手書きでメモしたり、プリントアウトしたりして携帯していた。 CDプレイヤーを手に持って爆音で音楽を鳴らす黒人だらけの、明らかに不穏な地下鉄に乗り、ダウンタウンに到着。印刷した地図を見ながら予約していたホテルに歩いてたどり着き、身振り手振りでチェックインを済ませる。ホテルの名前も場所も覚えていないが、じめっとしたほの暗いホテルだったことだけは覚えている。 夜にはパトカーのサイレンが鳴り響き、外からは絶えず怒号が響いていた。なにしろ初めてのアメリカなので、アメリカとはこういうところなのかな、と思っていた。しかし今思い返すと、あれはおそらく、かなり治安の悪い地域にあるモーテルだったのだと思う。翌日、学会場で教授やほかの先生らと会ったとき、昨日あった顛末を話すと、みな仰天していた。 学会が始まってからは、学会場に直結のマリオットホテルに宿泊する予定になっていた。部屋はもちろん快適だったのだが、教授と相部屋で、それはそれでいろいろと精神的に大変だったのを覚えている。