「ザキヤマはめちゃくちゃまじめでした(笑)」 「サンミュージック社長」が養成スクール講師時代に衝撃を受けた“2人の生徒”とは?
「プレッシャーを感じるぐらいまじめでした(笑)」
「こいつは他と違う! と思ったのがザキヤマこと山崎弘也と塚地武雅です。まずザキヤマ、彼はめちゃくちゃまじめだったんです。僕が担当していたネタ授業は皆勤。多くの生徒が次第に行かなくなる発声練習などの授業もまじめに出席していました。授業中はいつも正面真ん中にいて、前のめりで、食い入るように話を聞いていました。“学ぼう”という気持ちが溢れ出てたんですよ。しょうもないことを言うと“じー”っと見てるしね。教えながらプレッシャーを感じるぐらいまじめでした(笑)」 今やすっかり騒々しいほどのハイテンション芸が定着しているザキヤマだが、学校時代は全くキャラが違ったのだ。 相方の柴田はどうだったのか? 「授業中は後ろの方でハスに構えていた印象です。今でこそ早口でまくし立てるけど、最初はそこまでの技術はなくて、“僕、大丈夫ですか”と不安そうにしてました。でも光るものはありましたし、彼は努力の人なんです。よく若い子に“最初はダメでも努力すれば”という実例として、柴田がいかに頑張ってきたかを話しました。色々ありましたが、コンビが復活して良かったですよ」 もうひとりの強い印象を受けた生徒、塚地はどうだったのか。
「鈴木はあかん!」周囲はコンビ結成に大反対
「塚地も前の方で真剣に授業を聞いてるタイプでした。で、“あー”“うんうん”とうなずいてるんですね。講義内容と頭の中のお笑いデータを合致させて、“あれや!”“なるほど”と楽しんでる感じです。本当にお笑いが好きなんやと伝わって来ました。授業中に前に出して即興でネタをやらしてもちゃんと出来ますし、スクール時代からお笑いの引き出しをいっぱい持っていて、本当に優秀な生徒でした」 “出来る生徒”として、塚地は事務所にも将来を嘱望されていた。ところが、あることで事務所社長や岡社長らを大いに困惑させることになる。 「玉川社長、ブッチャーブラザーズ、事務所の主要メンバーで面談した時の話です。面談ではこの先どのように活動したいかを聞き、アドバイスやサポートをしていました。期待の新人ですから、自ずと力も入りますよね。塚地を呼んで今後のビジョンを聞いたら、“鈴木拓とコンビを組みたい”と。それを聞いた僕らはみんな倒れそうになりながら“それはあかん!”と大反対しました。僕らの当時の鈴木への認識は“向上心は特に見えず、1年が終わっても進歩はない”といったもの。僕らは他の人と組んだ方がええんとちゃうかと促したのですが、塚地は“彼がパートナーなら僕が思い描くことができます。やらせて下さい!”と頑として譲らなかった。塚地には“成功”が見えていたんでしょうね。あの決断を塚地は今、自分でどう評価しているのか、一度聞いてみたいですね」 実際に塚地と鈴木のコンビは人気になった。鈴木は“クズキャラ”の時期を経て、釣りや格闘技に活路を見つけている。 後編【「カンニング竹山」“キレ芸”誕生のウラに大御所“毒舌タレント”…「サンミュージック社長」が明かす“クビ寸前”からの大ブレイク秘話】に続く
華川富士也(かがわ・ふじや) ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。 デイリー新潮編集部
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