中国の「錦鯉」はいつのまにか「まな板の上の鯉」となってしまっていた…!その悲惨な顛末
中国は、「ふしぎな国」である。 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。 【写真】中国で「おっかない時代」の幕が上がった!? そんな中、『ふしぎな中国』に紹介されている新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。
錦鯉(ジンリー)
2021年12月19日に行われた「M-1グランプリ 2021」決勝で、「錦鯉」が、全国6017組のエントリーの中で頂点に立った。「錦鯉」は、当時50歳の長谷川雅紀と、43歳の渡辺隆が組む漫才コンビで、17回目の大会で史上最年長の優勝となった。 7人の審査員のうち、5人が「錦鯉」に投票した時、テレビを観ていた私は思わず、「なぜだ?」と口走った。私には、この自分と同世代の気ぜわしいコンビの面白みが、とんと理解できなかった(スミマセン)。 私見では、決勝に残った10組のうち、天才的な感性を持ち合わせていたのは、「オズワルド」だった。まさに10年にひと組の逸材! だが、「オズワルド」に投票した審査員は、オール巨人だけだった。旧知の巨人師匠に会って訊ねると、「才能が群を抜いていて、誰にもマネできないレベルだった」と語った。そして二人でしばし、「オズワルド談義」に耽った。 なぜ門外漢の私が、漫才にそんなにウルサイのかと言えば、私は北京に暮らしていた時分、「相声(シアンシェン)」(中国漫才)にハマっていたからだ。 北京ではラジオで、事実上の「相声専門チャンネル」があって、いつどこでタクシーに乗っても、運転手はボリュームを全開にして「相声」を聴いている。客がどう思おうがお構いなしで、ハンドルを握りながら「ギャハハー」と笑いこけたりする。 「中国を識るには庶民の喜怒哀楽を知れ」―この鉄則に従い「相声研究」を始めたが、これが実に奥深い世界なのだ。 「相声」は、北京・天津・南京が「3大本拠地」である。北京はカッコウつけすぎで、南京は距離的に遠い。というわけで、私のお気に入りは、泥臭い演芸が売りの天津だった。 休日になると、窮屈な北京を抜け出し、高速鉄道でひと駅の天津まで行って、「相声の殿堂」名流茶館に入り浸ったものだ。一流の「相声」には、中国大陸の黄土が醸し出す「匂い」が詰まっている。笑いはもとより、中国文化の深遠さに感涙したこともあった。 当時の私は、多くの日本文化と同様、漫才のルーツも中国の「相声」ではないかと睨んでいた。だが実際には、それぞれの発展時期から見て、必ずしもそうとは言えない。 ちなみに日本芸術文化振興会のホームページでは、漫才(万歳)のルーツをこう記す。 〈万歳は新年にめでたい言葉を歌唱して、家の繁栄と長寿を祈る芸能である「千秋万歳」を略した呼び方だといわれています。祝福芸の万歳は日本各地に広まり、それぞれの地域に根づいて地方色を出しながら継承されました〉 それで、「M-1グランプリ」を優勝に導いた魚「錦鯉」の話である。中国語では当然ながら「にしきごい」とは読まず、「ジンリー」と読む。 古代中国において、鯉は、キリスト教における天使のような存在と信じられてきた。すなわち、地上と天界とを橋渡しする「神聖な魚」だ。 例えば、前漢時代(紀元前202年~後8年)に書かれたと言われる『列仙伝』には、鯉の背に乗った人が昇天し、仙人になるという伝説が記されている。続く後漢時代(25年~220年)に書かれた『三秦記』は、鯉が飛び跳ねて、天界の龍門に至るというストーリーだ。 その後も、鯉はめでたい詩句に、たびたび登場してきた。そんなことから、中国の貴族たちが、自宅の庭の池で鯉を泳がせるようになった。 こうした中国貴族の習慣が日本にも持ち込まれ、「鯉のぼり」の風習とともに、平安貴族の寝殿造りなどに生かされた。だが「泳ぐ芸術品」と仰がれる錦鯉は、江戸時代に新潟県で登場した日本発祥である。 「庭に錦鯉」と言えば、最も有名なのは、東京・目白の田中角栄元首相邸だろう。 角栄氏を撮り続けたカメラマンの山本皓一氏から聞いた話によれば、角栄氏は日中に重要な来客があると、庭に案内した。そして、広々とした池を泳ぐ錦鯉にエサを撒きながら話をしたという。相手はその貫禄に圧倒されて、術中にハマるというわけだ。 1982年の晩秋、「北海のヒグマ」こと中川一郎科学技術庁長官が、来たる自民党総裁選への出馬支持を取り付けるため、角栄邸を訪問。池の錦鯉を見ながら切り出した。 「鯉(自分)が跳ねてもいいでしょう」 すると、中曽根康弘候補を推していた角栄氏は、一刀両断した。 「跳ねてもいいが、池の外に飛び出したら、それきり日干しになるぞ」 実際、中川氏は強引に出馬したが、中曽根氏に大差で敗れ、直後に地元北海道のホテルの部屋で縊死した。 中国の話に戻ろう。もしかしたら田中角栄首相に影響されたのかもしれないが、1972年9月に田中首相が訪中して、日中国交正常化を果たして以降、北京で錦鯉を飼い続けている日本人がいる。 それは、日本国駐中国特命全権大使。北京東部の亮馬橋にある日本大使公邸には、広大な日本庭園があり、その池には悠々と錦鯉が泳いでいるのだ。 日本大使公邸でパーティが催された際、招待された中国人たちが、うっとりと錦鯉に見入っている姿を、私は何度となく目撃している。彼らはこう呟いていた。 「自分もいつかこんな豪邸に住んで、錦鯉が泳ぐ花園(ホアユエン)(庭園)を散歩したいものだ」 彼らの目には、日本発祥で「水中活宝石(シュイジョンフオバオシー)」(水中の生きる宝石)と形容される錦鯉が、「金満日本の象徴」と映っていたのだ。 ところが2010年頃から、中国人の発言は、微妙に変わっていった。 「先日訪問した友人の別荘と『差不多(チャーブドゥオ)』だな」……。 「差不多」とは「差が多くない」「似たようなもの」という意味だ。中国でも、庭の池に錦鯉を飼うような富裕層が、続々と出てきたのである。 実際に私も、北京人の知人が北京西郊に買った別荘に遊びに行ったら、「池ではなく湖だろう」と思えるようなものを拵えていた。そこでは錦鯉だけでなく、自宅で食する豚などまで飼っていた。 そんな中、2018年の国慶節(10月1日の建国記念日)前に、アリババが運営するアリペイ(支付宝)の公式「微博(ウェイボー)」で、「あなたが中国の錦鯉になるのを祝おう」と題したイベントが行われた。アリババのサイトで掲示された商品や旅行などが、抽選で当たるという企画だ。 国慶節の連休明けに抽選結果が発表され、当たった人々は「中国錦鯉(チョングオジンユイ)」と称された。そこから、「錦鯉」という言葉がたちまち流行語になった。「幸運をもらった人」「富裕になった人」という意味だ。 これは私の推察だが、アリババのイベントで「中国錦鯉」なる冠を付けたのは、同社の創業者である馬雲会長(当時)本人ではなかったか。浙江省杭州にある通称「馬雲御殿」を訪れた私の知人によると、御殿の中には畳敷きの和室と日本庭園があって、池には最高級の錦鯉が泳いでいたという。日本贔屓で知られる馬雲氏は、「重要なことは静謐な『日本的空間』の中で考える」と吐露したそうである。 そんな馬雲氏も、手塩にかけて育てたアントグループ(螞蟻(マーイー)集団)が、香港と上海市場で上場する予定だった2日前の2020年11月3日、中国当局によって「待った」をかけられてから、ケチがつき始めた。公の場にほとんど出なくなり、アリババの知人に聞いたら「御殿で蟄居を余儀なくされている」とのことだった。 2021年8月、『ふしぎな中国』で述べたように習近平主席が「共同富裕」を高らかに宣言すると、「これは新興富裕層の象徴的存在であるアリババを標的にした政策だ」とも囁かれた。当のアリババは間髪入れず、「5年で共同富裕資金1000億元(約2兆円)の投資」を発表。 2022年の1~3月期は最終損益が赤字に転落し、4~6月期も純利益が前年同期比で半減した。 錦鯉はいつのまにか、「まな板の上の鯉」になってしまった。
近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)