孤独と不安の時代に『きのう何食べた? season2』が教えてくれる、幸せな人生の歩き方
西島秀俊&内野聖陽主演の人気ドラマ『きのう何食べた?』。待望のseason2も、私たちの心を掴んでやまないその魅力をライター横川良明さんがお届け。
おいしいものを食べているときの顔と、いとしい人と一緒にいるときの顔がよく似ていることに気づいたのは、このドラマのおかげだと思う。 『きのう何食べた? season2』(テレビ東京系)は、アラフィフ男性カップルの何気ない日常を描いた作品だ。言ってしまえば、ただそれだけのお話なのに、なぜだか不意に涙が出そうになる。 別に泣かせそうとしているわけじゃない。感動巨編でもなんでもない。だけど、心に沁みて、瞼が熱くなる。時に切なく、時にやるせなく、時に温かく、時に優しく広がる『何食べ』の味。孤独と不安の時代に『何食べ』が刺さる理由を考えてみたい。
シロさんとケンジが向き合う“老いる”ということ
日常系と呼ばれる作品は数多ある。それこそ『サザエさん』(フジテレビ系)を筆頭に、日本の長寿作品のほとんどが日常系だ。しかし、その多くは登場人物が年をとらない。一方、『何食べ』は1年1年、シロさん(西島秀俊)もケンジ(内野聖陽)も年をとっていく。この差は大きい。『何食べ』とは“老いる”ことについて考えさせられるドラマである。
顕著なのが、シロさんの両親(田山涼成、梶芽衣子)だろう。season1では父の入院が描かれ、season2では両親の墓問題が挟み込まれている。切実だ。シロさんたちくらいの年代の人なら多かれ少なかれ考えたことがあるだろうし、もう少し下の世代もまたいずれ訪れるテーマとして関心を抱かずにはいられない。 ドラマにするには取るに足らない、だけど人生を生きていく上では避けて通れない問題が『何食べ』では何でもないタッチで描かれる。だから、響く。
人生が1回きりである以上、“老いる”ことは誰しもが未知の体験だ。不安は尽きない。でも、そんな暗がりを、ある人にとっては肩を並べて、ある人にとっては少し前を、シロさんとケンジが歩いてくれる。『何食べ』は明日の献立のためのレシピ本であると同時に、壮年期を歩くためのガイドブックでもあるのだ。