球団への“怒り“…契約保留で不満を表した選手6人
井端弘和
出身:神奈川県 投打:右投右打 身長/体重:173cm/73kg 生年月日:1975年5月12日 ドラフト:1997年ドラフト5位 福留孝介と同様に、中日ドラゴンズで保留を選択した選手に井端弘和がいる。 井端は堀越高から亜細亜大に入学し、3年秋にリーグ戦優勝を経験。ひざの半月板を損傷する負傷も乗り越え、中日への入団を果たした。 プロ4年目にレギュラーを獲得すると、球界髄一の遊撃守備とつなぎの役割を全う。打撃面も年々向上し、2005年は全146試合に出場し、打率.323のハイアベレージを残した。 大幅な昇給が期待された一方、同年オフに提示された年俸額は、井端の想定額に到底及ばず。「金額を見た瞬間に足がガクガクになりました」とショックを露わにした。 この事態を球団側も重く見たのか、前回の提示額を大きく超える金額で更改。最終的には大幅昇給を勝ち取ったシーズンオフだった。
森本学
出身:大阪府 投打:右投右打 身長/体重:175cm/78kg 生年月日:1978年1月6日 ドラフト:2002年ドラフト6巡目 控え選手に対する評価の見直しを求め、保留を選択したのが福岡ソフトバンクホークスの森本学だ。 森本は大阪桐蔭高で持ち前のユーティリティぶりを発揮。卒業後は福井工業大に進学すると、リーグ戦では首位打者も獲得した。 その後、社会人野球のシダックスでプレーを続け、2003年にダイエー(現:ソフトバンク)に入団。 入団後しばらくは控え、あるいは守備固めといった起用が多かったものの、2009年は松田宣浩の故障もあってキャリアハイの95試合に出場。 だが、球団からの提示額は自らの希望額には届かず。「レギュラーだけで試合をやってみてください」と主張した。改めて、控え選手の大切さを認識する一件だったと言えるだろう。
杉内俊哉
出身:福岡県 投打:左投左打 身長/体重:175cm/82kg 生年月日:1980年10月30日 ドラフト:2001年ドラフト3巡目 「携帯会社と同じで既存契約には冷たい」と痛烈な言葉を残した杉内俊哉。球団に対する怒りは相当なものがあったのだろう。 鹿児島実時代には甲子園でノーヒットノーランを達成。卒業後は社会人野球の三菱重工長崎で活躍し、福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)に入団した。 現在の球団名に変更された2005年、杉内は18勝4敗・218奪三振・防御率2.11と抜群の成績を残し、大きく飛躍。同年は最優秀防御率、最多勝のタイトルに加えて沢村賞とシーズンMVPにも輝いた。 その後もチームのエースとして活躍を続け、2010年にも16勝を挙げた。ただ、防御率3.55は、前年より1点以上悪化。これが影響したのか、球団からの提示額は杉内の想像より低い金額に。球団の事業に対する皮肉も交えつつ、保留を選択した。 この一件をきっかけに球団との溝が深まり、2011年オフにFA権を行使。読売ジャイアンツで現役生活を終えることとなった。