「運転しかできないくせに」 タクシードライバーを平気で“職業差別”する人たちに欠けた現状認識力、彼らはエッセンシャルワーカーである
蔑称の起源
タクシー運転手は過酷な労働環境で働いている。長時間労働と低賃金。十分な休日もない。にもかかわらず、彼らの社会的地位は決して高いとはいえない。インターネット上では、この職業を軽蔑する声さえ見受けられる。 【画像】えっ…! これがタクシー運転手の「年収」です(計11枚) そうした差別意識を端的に表す言葉のひとつが 「雲助(くもすけ)」 である。最近ではあまり聞かなくなったが、かつてタクシー運転手をさげすむ意味で使われていた。いわずもがなテレビでは「放送禁止用語」である。東京の40代タクシー運転手は、こう振り返る。 「タクシーに乗り始めたばかりで、東京をどう回ればいいのかわからない新人の頃でした。六本木で乗せたブランド物に身を包んだ成り上がり風の若者、銀座で乗せた定年を迎えたであろう老人。若者は意味もなく不機嫌で、タメ口。老人は、道を知らない私に対して、やたらと命令口調で、上から目線でした。ふたりとも「運転しかできないからタクシー運転手になったんだろ。道くらい知っておけよ、雲助のくせに」的なことを言っていましたね。あと、私の職歴や過去を知りたがっていたのも印象的でした」 もともと雲助とは、江戸時代に街道で駕籠(かご)を担いだり荷物を運搬したりする人足(労働者)を指す言葉だった。歴史家・田村栄太郎の著作『一揆・雲助・博徒』(1972年)から引用する。 「雲助は一定の住所のない歩行荷物の交通労働者、当時の言葉でいえば宿場人足である。徳川中期頃までは、広義には一定の住所ない流浪する者をすべて雲助と呼んだが、交通労働者としての雲助が、必要欠くベからざるに至って、幕府を初め諸藩に至るまで、浮浪者を無宿と呼んでいた。したがって広義には交通労働者雲助も、無宿の一部分であることは勿論である。広義の雲助、無宿は、狭義の労働予備軍であって、との予備軍がなければ雲助も消滅する」 この言葉がタクシー運転手に対して使われるようになったのは「昭和初期」からである。 昭和初期には、タクシー業界への参入者が増加し、競争が激化したため、悪質な営業行為が横行するようになった。メーターを細工して不当に高い運賃を請求する運転手が後を絶たなかった。こうした悪質なタクシー運転手が 「雲助タクシー」 と呼ばれるようになったのである。戦後になっても、この言葉は引き続き悪質なタクシー運転手を指す言葉として使われた。