最強打者の骨折で「甲子園は無理かも」 溢れた“悲観的”な声…突然回ってきた4番
牛島和彦氏は2年の秋季大会で準優勝も…近畿大会を前に香川伸行捕手が離脱
「甲子園出場は無理じゃないか」の声に発奮した。1978年の秋季近畿大会で牛島和彦投手(元中日、ロッテ、現・野球評論家)がエースの浪商は優勝し、2年連続での選抜出場をつかんだ。1回戦は興国に9-2(8回コールド)、準々決勝は東洋大姫路(兵庫)に6-5、準決勝は箕島(和歌山)に11-4(8回コールド)、決勝は尼崎北(兵庫)を7-3で下した。4番の香川伸行捕手(元南海)が怪我でスタメンから外れた中、浪商ナインの意地が爆発しての優勝でもあった。 【動画】次々と泣き崩れる選手…疑惑の“判定”に「史上最悪の審判」 当時の浪商はエースの牛島氏とともに、4番・香川捕手の強打は大看板だった。「香川はすごかったですよ。(大体大付属)中学の時から関西では有名でしたしね。(浪商では)1年の時からもうバッティングは別格でしたね。パワーというか、遠くへ飛ばす力は持っていましたね」と牛島氏も舌を巻くばかり。まさに頼れる4番がいたおかげで、チームも強くなった。牛島氏らが2年生だった1978年秋季大阪大会も順調に勝ち上がった。 浪商、PL学園、興国、岸和田の4校による決勝リーグ戦となり、浪商は2勝1敗の2位で通過した。負けたのは小早川毅彦内野手(元広島、ヤクルト)、山中潔捕手(元広島、ダイエー、中日、日本ハム、ロッテ)、阿部慶二内野手(元広島)らが主力のPL学園だった。「1-3で負けましたね。PLのピッチャーはアンダースロー。ウチの打線はそういうタイプに弱かったんです。本格派には強いんですけど、軟投派は苦手だったんですよねぇ」。 秋季大阪大会をPL学園に次ぐ2位で近畿大会に出場するのは、前年の1977年と全く同じパターンだったが、大きな違いがひとつあった。「大阪大会で香川が、右手の人差し指だったと思いますが、骨折したんですよ」と牛島氏は話す。4番打者のまさかの怪我はチーム内外にも衝撃を与えた。「学校中で香川が出られないのなら、近畿大会は厳しい、選抜出場は無理かも、みたいな話が広まったんです」。その話を知って浪商ナインは気合を入れ直したという。