<テスラVS.エジソン「電流の戦い」とは?>知っておきたい電気にまつわる基礎知識
世界初の商業発電所は今のNYの金融街に
発明王エジソンは室内で使用可能な寿命も実用に耐える白熱電球を1879年に発明する。フィラメントに京都の竹が利用されたのは有名な話だ。電球の需要が作り出され、電力を供給すれば事業が成立することになった。エジソンは世界で初めての電力事業を始めた。 1882年9月にニューヨーク・マンハッタン島の南部パール・ストリートに世界発の商業発電所が建設され運転を始めた。パール・ストリートは自由の女神像が設置されているリバティー島へのフェリーが発着するバッテリーパークからブルックリン橋まで北東に伸びる通りだ。今の金融街に発電所があったことになる。石油が商業的に利用される以前であり、燃料は石炭だった。その後、コロラド州などで水力発電所が開発された。 今発電所で作られる電気は交流(AC)だが、パール・ストリート発電所の作る電気は直流(DC)だった。直流と交流をめぐっては、エジソンと元部下のテスラの間で論争と競争が繰り広げられた。テスラは1856年にクロアチアで生まれ、オーストリア・グラーツ大学で数学と物理学を学び、チェコ・プラハ大学で哲学を学んだ。1882年にパリのコンチネンタル・エジソンで直流プラントの補修の仕事に就く。2年後に米国に渡りエジソンの元で仕事を始めた。
周波数が異なる東日本と西日本
今利用されている家電製品のうちパソコン、テレビなどは、アダプターあるいは製品の内部で機器に送られてくる交流を直流に変換している。直流の乾電池、蓄電池ではプラス 極とマイナス極があり、常に一方向、プラス極からマイナス極に電流は流れる。交流ではプラスとマイナスが一定の周期で入れ替わる。1秒間に繰り返される周期の回数を周波数(ヘルツ)という。 東日本の周波数は50ヘルツ、西日本は60ヘルツだが、これは電力事業開始時に東日本の東京電力の前身の会社はドイツ・シーメンスから、西日本の関西電力の前身の会社は米国GEから発電設備を導入したためだ。周波数が異なる地域への引っ越しの際には注意が必要だ。使えるものと使えないものがある。テレビ、パソコン、電気炊飯器、掃除機、電気こたつなどは周波数が異なっても使用できる。冷蔵庫、扇風機などはモータが影響を受けるが、使用は可能だ。電子レンジ、蛍光灯などは、どちらの周波数でも対応している製品でない限り、使用できない。 周波数が異なるため、電気をそれぞれの地域をまたいで送る際には、周波数を変換する必要がある。東日本と西日本の境界は、日本海側の新潟県の糸魚川と太平洋岸の静岡県の富士川になるが、境界の近くには4つの周波数変換所が設置されている。変換は、交流の電気をいったん直流にして相手側に送った後、直流から異なる周波数の交流に再変換することで行われる。ただし、変換所の能力には限度があり、東日本と西日本との間で無制限には電気を送ることはできない。