1歳で名古屋に避難した娘 原発事故後初めて"記憶のない故郷"福島へ
午前8時半ごろ、毎朝のように早起きをし、忙しい母親のために弁当を作るという和(いずみ)さん、中学2年生です。今から12年前の春、1歳の時に家族と福島から名古屋へやってきました。それ以来、母親の背中を見続けてきた和さんが、幼い頃から母親に感じていた思いを涙ながらに教えてくれました。 和さん: 「あの頃はもうなんも分かんなくて、ママがこんなモノを大事にしていたんだなみたいな、こういうことを知って欲しいんだなみたいな」
実は2011年の福島第一原発の爆発で、住んでいた福島県から自主避難をしていたのです。5人の子どもを育ててきた母親の早苗さん(45)は、子どもたちの被ばくを避けたいという思いから決断しました。3女の和さんは震災当時まだ1歳。福島の記憶はまったくありません。
地震だけなら…原発事故さえなければ…ずっとここにいられたのに
母親が聞かせてくれた自然豊かな福島に行ってみたい。そんな和さんの念願が叶い、今年11月、避難後初めて福島を訪れました。和さんと早苗さん、そして弟の龍樹(たつき)くんも一緒です。震災当時、龍樹くんはまだお母さんのお腹の中にいたので、名古屋で生まれました。 岡本さん一家が暮らしていたのは、原発から約60キロの福島県伊達市。子どもたちに福島を知ってもらいたいと向かったのは、当時住んでいた家でした。野生のカモが生息しているような自然に囲まれた土地は、名古屋で育った子どもたちには見慣れない光景です。 地震だけなら…原発事故さえなければ…そんな思いがこみ上げてきますが、思い入れのある土地にいまだ帰ることができない理由がありました。 早苗さん: 「ここ山の中ですし、除染がしきれていないっていうところは、(子どもたちに)被ばくをさせたくないっていう思いは今でも続いているので」 親子でよく遊びに来ていたという公園にも原発事故の爪跡が残っていました。原発事故後、公園に設置された放射線量を測定する装置。この日の空間線量率は0.157μSv/h。同日の名古屋市は0.077μSv/h。日本の基準よりは低いですが、伊達市は名古屋市のおよそ2倍となっています。 ※日本の基準:年間1mSv=0.23μSv/h