「病室中を血まみれにしてでも起き上がりたい」…命を狙われ、リハビリに励む反体制派ナワリヌイ氏の「血の滲むような努力」と「希望」
記憶は戻っても体は戻らない
とうとう医師団の許可が下り、自分でベッドから出て、実に危なっかしい足取りながら数歩先の洗面台まで歩けるようになり、すべての記憶が戻ってきた。 手を洗いたかったが、その手が言うことを聞いてくれない。すると、突然、ある記憶が鮮やかによみがえった。そうだ、そういえば、病院に運び込まれる数週間前、トムスク発モスクワ行きの機内のトイレで顔を洗おうとしていたのだった。ベッドに戻り、横になる。天井を見つめながら、どうしようもなく情けない気分になった。まるでよぼよぼの老人じゃないか。わずか3メートル先の洗面台まで造作なく歩くことも、蛇口をひねることもままならない。一生こんな状態が続くのかと不安になった。 当初は、実際にそうなると見られていた。ふつうの暮らしに戻るためには、血の滲むような努力が欠かせなかった。毎日、理学療法士が来た。人柄のいい女性なのだが、今までやったこともないくらいの難題を無理強いするのだ。例えば、テーブルにカップが2つ用意される。一方は水入り、もう一方は空のカップだ。私にスプーンをわたし、水をすくって空のカップに移せという。 そのころには発話もずいぶん滑らかになっていたから、「わかりました、5回でいいですよね」と尋ねると、「7回やってください」と無茶を言う。最終的には、水をすくって別のカップに移す動作を7回繰り返すことができたが、こんなつらいことはない。マラソンを走らされているような気分だった。 まだまともに歩くことも、物を握ることも、体の動きを合わせることも身についていなかった。キャッチボールは1日に100回だ。あれはへとへとになった。何週間もマスターできなかったのが、立った姿勢から床に横たわり、起き上がるという運動だ。どうがんばっても3回が限界で、本当につらかった。 集中治療室に入っているころ、一番うれしかったのは、モスクワから娘のダーシャと息子のザハールが駆けつけてくれたことだろう。だが、ご想像どおり、何ともぎこちないひとときだった。コードやらチューブやらでぐるぐる巻きだから、抱き合って再会を喜ぶこともできない。そんな状況で何を話せばいいのか戸惑うばかりだ。だから子供たちは病室でただ椅子に座り、私もその様子を見つめるだけだったが、このうえなく幸せな気分だった。 『プーチンの神経を逆撫でしても...ロシアで命を狙われた反体制派のナワリヌイ氏が感銘を受けた、独メルケル元首相の「人間味あふれるはからい」』へ続く
アレクセイ・ナワリヌイ、斎藤 栄一郎
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