福岡第一高バスケ部の強大なライバル福岡大大濠高、かつては「あいさつもしない」ほど…コート内外で火花
福岡・福岡第一高の男子バスケットボール部は、インターハイ(全国高校総体)で4度、ウインターカップ(現・全国高校選手権)で5度の優勝を果たした強豪だ。「勝ちながら、いかに心を育てるか」。1994年の創部以来、チームを率いてきた監督の井手口孝さんは、今もコートで生徒に寄り添う。 【写真】熱い思いで選手を指揮する井手口さん
創部以来、躍進を遂げてきた福岡第一高の前には、県内の強大なライバルがいた。1951年に創部し、74年には福岡県で開催されたインターハイで初優勝を果たすなど地歩を固めてきた福岡大大濠高だ。
2019年と23年、わずか5年の間に、高校日本一を決めるウインターカップの決勝で2度も戦った。試合後は両校の監督は握手を交わし、選手が互いの応援席に頭を下げる。最後は両チームのメンバー全員が交ざって集合写真を撮った。ただ、そんなすがすがしい光景は、かつては見られなかった。
1990年代に新興勢力として力をつける福岡第一高と、すでに名をはせていた福岡大大濠高はコート内外で火花を散らした。同高を率いていた田中国明監督(2018年死去)とは、試合会場で会っても、「あいさつもしない」というほど。指導者としての田中監督を尊敬しながらも「歩み寄れないところは確かにあった」と振り返る。
2004年に福岡第一高がインターハイを初優勝した後、同高留学生の年齢に疑いがあると田中監督が指摘したことで、両校の溝は決定的になった。
留学生が存在感を示し始めた05年に福岡大大濠高の主将を務め、現在は監督として同高を指揮する片峯聡太さん(36)は、複雑な心境で状況を受けとめていた。「田中先生は、(留学生の)年齢をはっきりさせたいという思いだけだった」と推し量る。一方で、国体の福岡県代表チームで指導を受けていて、「井手口先生のバスケにかける情熱も、十分にわかっていた」。
当時の緊張関係は「正直、スポーツのライバルとしては、あまり良い形ではなかった」と片峯さん。だが、田中監督との関係は次第に融和し、今では両校は試合が終われば「ノーサイド」でたたえ合えるようになった。
片峯さんは、強調する。「第一はただ留学生を連れてきて強くなったわけじゃない。井手口先生は、バスケットもそれ以外も、尊敬できるチームを作っている。だから『負けたくない』んじゃない。日本で一番、『勝ちたい』と思える相手なんです」