草なぎ剛の新たな当たり役…『碁盤斬り』で魅せる清廉潔白な武士の陰陽が圧倒的
江戸時代の浅草を舞台に、囲碁をめぐる人間模様と武士の誇り高い生き様を描いた人情噺として、多くの噺家や落語ファンに長年愛されてきた古典落語「柳田格之進」。この名作をベースにした加藤正人のオリジナル脚本を、『凶悪』(13)、「孤狼の血」シリーズの白石和彌監督が映画化した時代劇『碁盤斬り』が公開された。 【写真を見る】仇敵への復讐心に燃え、表情を一気に切り替える草なぎ剛の迫力がハンパない… 主人公の柳田格之進を演じるのは、白石監督と同じ1974年生まれの草なぎ剛。ヒューマンドラマ、サスペンス、アクションと、様々なジャンルが入り混じった本作は、俳優、草なぎ剛の奥深い魅力を存分に堪能できるという点でも見逃せない1本である。 ■難役に挑戦し、時代劇でも魅せてきた草なぎ剛 草なぎのパブリックイメージといえば、穏やかで、にこやか。マイペースで、飄々としていて、アイドルだった若い頃から、決して前に出過ぎることなく、何事にも恬淡としている印象がある。それが、いざ作品のなかで与えられた役を演じた瞬間、そのキャラクターが憑依したかのようにまったくの別人になってしまう。天才的な演技派だが、決して大げさにならず、どこまでも自然。“こういう人が本当にいる”と思わせる血の通った芝居をする役者だ。 長いキャリアのなかで、数えきれないほどの映画、ドラマ、舞台に出演し、作品に関わった演出家や共演者たちから絶賛され、数多くの俳優賞を受賞してきた草なぎ。近年では、第44回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞や第63回ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞した『ミッドナイトスワン』(20)で、母性愛に目覚めるトランスジェンダーの凪沙役を演じ、鮮烈なインパクトを与えた。 2021年放送のNHK大河ドラマ「青天を衝け」で演じた準主役ともいえるキャラクター、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜役の悲哀をにじませた存在感も忘れがたい。ちなみに草なぎはドラマ「太閤記 ~サルと呼ばれた男」(2003年放送)では豊臣秀吉、「徳川綱吉 イヌと呼ばれた男」(2004年放送)では第5代将軍の徳川綱吉、NHK大河ドラマ「新選組!」(2004年放送)では幕末の武士・榎本武揚、映画『BALLAD 名もなき恋のうた』(09)でも主人公の武士・井尻又兵衛を演じるなど、これまでにいくつもの時代劇に出演している。 また、今年の春まで放送された朝ドラ「ブギウギ」では、実在の音楽家、服部良一をモデルにした羽鳥善一を、コミカルかつチャーミングに好演。ここ最近の作品をちょっと振り返っただけでも、彼が演じるキャラクターには驚くほどの幅があることがわかる。 ■草なぎ剛との親和性が高い柳田格之進のキャラクター 演じるすべての役が唯一無二。そんな草なぎにとって、新たな当たり役となったのが、『碁盤斬り』で演じた柳田格之進だ。もとは彦根藩で進物番の役職に就いていた武士であったが、身に覚えのない罪を着せられたうえに妻も亡くし、藩を離れたという苦しい過去を背負っている。5年前から、一人娘の絹(清原果耶)と共に江戸の貧乏長屋で暮らし、自身は篆刻、娘は仕立ての内職でなんとか生計を立てているという設定だ。囲碁の達人でもあり、浪人になったいまでも、武士としての誇りを大切に生きている格之進は高潔な人柄で知られ、碁会所では「先生」、近所からは「お侍さん」「お武家さま」と呼ばれている。 格之進の内面の気高さは、囲碁の打ち方からも、そこはかとなく感じられる。本作には格之進が囲碁の対局をするシーンが多く登場するのだが、彼はいつも姿勢がよく、人差し指と中指で石を挟んだ指先までピンとまっすぐに伸びていて美しい。対局の相手が焦ったり、悩んだりしながら打つのとは対照的に、格之進の常に穏やかな表情からは、優勢なのか劣勢なのかはわからない。ただ、その佇まいには確かに相手を追い込んでいくような圧力があり、囲碁のルールをまったく知らない人が見ていても、彼が強いことがわかるのだ。 ■清廉潔白な格之進を慕い、恨みもする周囲の人々 格之進との囲碁を通して、その人柄にすっかり惚れ込んでしまうのが、質両替商の主人、萬屋源兵衛(國村隼)。初対面の時の源兵衛は、自分の囲碁の強さを誇示するかのように居丈高な態度をとっていたのだが、自分よりはるかに高いレベルの力を持つ格之進が「世知辛い世の中だが、囲碁だけは正々堂々と嘘偽りなく打ちたい」と静かな口調で話す言葉に、深く感じ入る。碁会所で出会った格之進と源兵衛が、季節が移り変わるなか、対局を重ねるにつれ、身分を越えて打ち解けていく様子には心が温かくなる。 一方、囲碁にも表れる格之進の清く正しくまっすぐな生き方を嫌悪するのが、かつての同僚でもあった柴田兵庫(斎藤工)。自分も囲碁には自信があるのに、格之進には勝てないことから、格之進に対して強い恨みを抱くようになっていく。清廉潔白という長所は、裏を返せば、頑固で融通が利かないという短所にもなる。格之進という1人の人物の気質を好む者もいれば、憎む者もいるという世の中の現実を、囲碁の対局シーンを通して鮮やかに描いているところが本作の見どころの一つだ。 ■あらぬ罪を疑われ、憤りを隠せない格之進 清と濁。静と動。本作はシーンによって、登場人物それぞれの印象がガラリと変わる。そして、映画の構造も前半と後半でくっきりと色合いが変わるのが大きな特徴である。前半のほのぼのとした人情噺から一転、後半はヒリヒリするほどのシリアスな復讐劇へ。切り替わるきっかけとなる、かつての部下、梶木左門(奥野瑛太)から過去の冤罪事件の真相を聞いた瞬間、顔色が変わり、呼吸が浅くなる格之進。凄みのある鋭い視線に心臓がドキドキする。 さらにタイミング悪く、よりにもよって、またもや別の冤罪が格之進の身に降りかかる。盗みなどとは最も遠いところにいる人間なのに、疑われることの堪えがたい怒り。格之進が「無礼者!私を盗人扱いするつもりか。痩せても枯れても私は武士だ。たとえどんなに窮しても、人様のものに手をつけるほど落ちぶれてはおらぬ!」と、それまでとは別人のような激しさで怒声を上げるシーンでは、全身から目には見えない炎がメラメラと立ち上っているかのよう。萬屋の屋敷で消えた50両について、格之進に問い質してしまった弥吉(中川大志)が、そのオーラに気圧されるのは当然の迫力だった。 そのほかにも、汚名を着せられた恥辱から切腹しようとする格之進を、娘の絹が必死に止めるシーンや、兵庫との激しい立ち回りのシーンなど、息をのむ名場面がたくさんある。アクションを得意とする草なぎが見せるキレのよい殺陣は惚れ惚れするほどかっこいい。 ■様々な経験を重ねてきたいまの草なぎ剛だからこそ演じられる格之進 印象的だったのは、父に復讐を遂げてもらうべく、覚悟を決めた絹の行動に背中を押された格之進が、因縁の相手である兵庫を探して津々浦々を旅する一連のシークエンス。江戸時代の旅はそれ自体が命懸けだ。笠を被り、道中合羽を羽織った格之進は、日を追うごとにどんどん汚れ、やつれ、無精ヒゲだらけになるのだが、復讐心に燃えるその顔はキリッとシャープ。なんなら、長屋で静かに暮らしていた頃よりもずっと輝いている。侍の本領発揮という感じで、気迫がみなぎっているのである。 草なぎ剛はストイックと称されることが多いが、そのストイックさにおいて、本作の柳田格之進という主人公は、彼自身のキャラクターとどこか重なる部分がある。劇中、格之進が自分の清廉潔白さが誰かを傷つけてきたのではないかと苦悩し、正しさだけがすべてではないと気づいていく姿も胸を打つ。瞬発的な演技力だけでは表現できない、半世紀の時間を生きて、様々な経験を重ねてきたいまの草なぎだからこそ、にじみ出る陰影と風格。『碁盤斬り』は彼の俳優人生において、まさに大切な代表作の一つになった。 文/石塚圭子