あのクルーグマン教授が最後のコラムで強調した「トランプ=カキストクラシー政治」とは?
信頼喪失の時代へ
12月9日に公表されたコラム(下の写真)をもって、2000年1月からスタートしたポール・クルーグマン(2008年ノーベル経済学賞受賞)の「ニューヨーク・タイムズ」紙の連載が終了した。彼はそのなかで書いている。「私の考えでは、エリートに対する信頼が崩壊している。国民は、物事を動かしている人々が何をやっているのか分かっているのか、あるいは彼らが正直であると仮定できるのか、もはや信じていない」 【写真】恐ろしすぎる…韓国・尹錫悦大統領の弾劾可決で今後始まる内乱同調犯の清算 たとえば、(1)2003年のイラク侵攻の理由において嘘(うそ)をついた米大統領は政治への信頼を失わせた、(2)2008年の金融危機は、政府が経済を管理する方法を知っているという国民の信頼を損なった――といった事態から、信頼喪失の時代に突入してしまったと慨嘆している。 そして、「テクノロジー分野の大富豪たちが政治的立場を問わず広く賞賛され、なかには国民的英雄の地位を獲得した者もいたのは、それほど昔のことではない」としながらも、「今、彼らや彼らの製品の一部は、幻滅やそれ以上のものに直面している」とのべている。オーストラリアでは16歳未満の子供によるソーシャルメディアの利用が禁止されているほどだという。
失われたマスメディアへの信頼
クルーグマン自身は書いていないが、マスメディアへの信頼も地に堕(お)ちているのではないかという話もしておきたい。たとえば、最近出版されたアンゲラ・メルケルの回想録(下の写真)を読めば、日欧米の多くの人々が、マスメディアの無視によって報じられていない事実に気づき、マスメディアへの不信を募らせることになるだろう。 具体的な話をしよう。ウクライナ戦争の遠因となった2014年2月21日の出来事についてである。ジョン・ミアシャイマーシカゴ大学教授や私が当初から「クーデター」と呼んでいる事件について、メルケルは、無視できない出来事としてつぎのように詳しくのべている。 「つい先週の金曜日(2014年2月21日:引用者注)の午後、現職のヤヌコヴィッチ大統領と、野党のヴィタリ・クリチコ、オレグ・チャグニボク(全ウクライナ同盟「スヴォボダ」党首)、アルセニー・ヤツェニューク(野党の全ウクライナ同盟「祖国」の議会指導者)は、ウクライナの今後の政治方針を定めた6項目の合意書に署名した。野党側の要求のひとつは、2004年の憲法を復活させ、2014年9月までに改正することだった。10日以内に国民融和内閣を樹立すること。 さらに、新たな選挙法を可決し、欧州安全保障協力機構(OSCE)の規定に従って2014年12月までに大統領選挙を早期実施することだった。木曜日、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー外相とポーランドのラドスワフ・シコルスキ外相は、EUの承認を得て、フランスのローラン・ファビウス外相とともにキエフを訪問し、ヤヌコヴィッチとマイダン広場での暴力行為の終結について交渉した。 その後、大統領執務室で正式に署名が行われた。バラク・オバマ米大統領もプーチン大統領との電話会談で、合意を迅速に実施すべきだと主張した。しかし、間もなく、マイダンでは合意を拒否し、ヤヌコヴィッチ大統領の退陣を要求する声が大きくなった。署名した3人の野党指導者は、ある活動家が発した『2014年2月22日の翌朝10時までにヤヌコヴィッチは権力を放棄しなければならない』という最後通牒を支持した。彼はその日の夜のうちに市外へ逃亡した」 何が言いたいかというと、日欧米の読者の多くが2014年2月21日に起きた出来事を知らないのではないかということだ。いったんはヤヌコヴィッチ大統領と野党との協定がドイツ、フランス、ポーランドの外相らの見守るなかで署名されたにもかかわらず、野党勢力によってあっさりと拒否され、身の危険を感じたヤヌコヴィッチが脱出せざるをえなくなったという事実(=クーデター)に気づいてほしいのだ。ヤヌコヴィッチを説得して、任期より1年前倒しの2014年中の大統領選実施に同意させたロシア側の努力も、無に帰したことになる。 本来であれば、結ばれた協定の実施を、ドイツもフランスもポーランドも求めるべきであった。だが、日欧米のマスメディアは、メルケルが回想録に書いた事実をこれまでほとんどまったく報道してこなかった。ゆえに、多くの欧米人も日本人もこの出来事を知らないだろう。そのため、これらの国の大多数は、2014年2月21日から22日の出来事の非道さに気づいていない。 オバマもメルケルもプーチンを裏切ったのであり、だましたとも言える。その結果、2022年2月からはじまったウクライナ戦争の背景に、このときのクーデターへのプーチンの遺恨がある。それを世に知らしめようと、私は拙著『復讐としてのウクライナ戦争』を書いたのだ。