鈴木宗男・元衆院議員の記者会見(全文1)北方領土問題、必ず応じてくれる
政治団体「新党大地」の代表を務めている鈴木宗男・元衆議院議員が28日午後3時から、東京の外国特派員協会で記者会見をする。 【中継録画】鈴木宗男・元衆議院議員が会見 北海道出身の鈴木宗男氏は、北方領土問題について「段階的返還論」を主張している。また、今年の12月に日ソ共同宣言から60年を迎えようとしている。
北方領土問題について
鈴木:皆さん、ただ今、大変丁寧な紹介をいただいたことで恐縮している鈴木宗男であります。久しぶりに外国特派員協会に来まして、私は気が弱いもんですから、ちょっと、今緊張しております。私が最もこの日露関係で頼りにしたり、あるいは信頼している1人に元外務省にいた、この佐藤優という男がおります。今から25年前、この佐藤さんと出会ったとき、私はエストニアのタリンで佐藤さんと別れるとき、日露をやりたい。まだ当時はソ連でしたけれども、日ソを動かしたい。どうしたらいいかっていったら佐藤さんは1年に1回モスクワに来てください。私の持っている人脈を全て鈴木先生に紹介しますと言ってくれました。私は約束どおり1年に1回はもちろんですけども、2回、3回、モスクワに通ってさまざまな人間関係を築いてきました。佐藤さんは10年後にはトップに会いましょう、こんな話も25年前したものです。 10年後まさに私はロシアの大統領選挙に当選したプーチン大統領と、当選後10日目にクレムリンで会談することができて、森、日本の総理との首脳会談の日程をセットしたものであります。皆さんご案内のとおり森、プーチン、この両氏の人間関係は極めて良好で日露関係がぐっと動いたときだと思います。私は今でもイルクーツク声明がこの北方領土問題解決に一番近づいた首脳会談だったと思っています。このイルクーツク声明の1カ月後に日本では森さんから小泉総理に政権が代わりました。 当時、田中眞紀子さんが外務大臣になり、日露関係の原点は田中・ブレジネフ会談だとこう言って、いわゆる冷戦時代の、領土問題がないとソ連が強く出ていた時代に時計の針を戻してしまいました。田中さんの後を継いで外務大臣になった川口順子さんは、森総理が提案した、いわゆる並行協議。歯舞、色丹島を具体的に日本に返してもらう。国後、択捉がどちらに帰属するか、日本、ロシアですね。この協議をしようと。いわゆる並行協議の提案、車の両輪論を言ったんですけども、これは日本のほうから、この川口大臣が断ってしまいました。 プーチン大統領は政権が代わると政府の方針も変わってしまうのかと大きな戸惑いを持つと同時に、あの当時、私もこの権力闘争に巻き込まれて逮捕される事態、さらには佐藤優さんも逮捕される。またわれわれと同じ行動をしてきた東郷和彦さんも外務省からパージされるということで、大きなこの日露関係に空白が生じてしまいました。 あの当時、鈴木宗男は歯舞、色丹、2島先行返還だとか、2島ぽっきりの主張で国賊だと、よくメディアでたたかれたもんであります。私は4島を解決するにはどうしたらいいか、入り口で止めてはいけない、出口を見据えた場合、現実的な判断をしなくてはいけない、こう考えて私は動いたもんであります。 ソ連共産主義時代は4島問題はないと主張するもんですから、日本は4島一括返還、その上に即時とまで付けたものです。しかし、そのソ連が崩壊して自由と民主のロシアになり、エリツィン大統領になってからは4島問題がある、未解決の地域である、これを話し合いで解決しよう、法と正義に基づいて両国で話し合っていきましょうとなってきました。日本政府もそのロシアの姿勢を評価して、このときから4島一括返還という表現はしなくなって4島の帰属の問題を解決して平和条約、4島の帰属が認められれば島の返還時期には差があってもいいですよ、柔軟に対応します、と政府の方針を変えたものであります。 15年前、その2島先行返還だ、あるいは2島ぽっきりで終止符を打つとか、国賊扱いされた私でありますけども、あの当時、官房副長官であったのは今の安倍総理であります。当時の安倍副長官は記者会見等で、鈴木先生のやってきた日露関係は政府の方針であります、間違っておりませんと正しい認識を示してくれておりました。私は今の安倍総理は父上であった安倍晋太郎先生の、外務大臣の秘書官として、また秘書として仕えられ、さらに森総理のときの官房副長官でもありますから、しっかりと頭づくり、歴史の重み、あるいは積み重ねであるということを正しい認識を持っておられると、私は理解しております。