『ガンダム』アムロの名前「嶺」の姓が広く知られる最大の理由 実はガンプラにあり?
「安室 嶺」という「当て字」が生まれた理由
1979年4月、『ガンダム』の放送が始まり、「アムロ・レイ」という表記が一般化していきます。ホワイトベースの乗組員たちの国籍についての設定はなくなり、アムロの「日本人と白人の両親を持つ」という設定もなくなりました。 アニメーションディレクターの安彦良和さんは、アムロが今までにないキャラクターだった特徴として、「外国人」と「ネクラ」だったことを挙げています。しかし、先にも述べたとおり、当時のロボットアニメの主人公は日本人であることが絶対条件でした。そこでスポンサーに突っ込まれてもいいように「安室 嶺」という当て字を考えていたと振り返っています(一迅社「Febri」2022年12月19日付) アムロをはじめとする『ガンダム』の登場人物に、国籍などの設定がなかったのは最初に述べたとおりです。「ガンボイ」の企画書にアムロが日本人と白人の両親を持つ旨が書かれていたのは、企画の過渡期だったからかもしれませんし、スポンサー向けの言い訳だったのかもしれません。 一方、チーフ脚本家の星山博之さんは、「レイってのは零式艦上戦闘機の零なんだよ」と説明していました。「カイ・シデン」が戦闘機の「紫電改」から採られたのであれば、こちらの説明もうなずけます(『ガンダム者:ガンダムを創った男たち』著:Web現代「ガンダム者」取材班/講談社)。ただし、こちらは元々の語呂合わせの説明にすぎず、「アムロ・零」という表記が存在したわけではありません。 では、富野監督はどう考えていたのでしょうか。放送中に発売された『アニメージュ』1979年12月号には、富野監督がファンからの質問に応える「ファンからのここが聞きたい ガンダム67の質問」という企画が掲載されています。その中に「アムロ・レイ、アムロ・嶺、どちらですか!?」という質問がありました。富野監督は次のように答えています。 「本当は漢字の嶺です。でも、表音上はカタカナでやっています」 整理すると、メインスタッフの間では「アムロは外国人」という共通認識があり、表記も「アムロ・レイ」で統一されていましたが、富野監督は「ごろ合せで1か月かかって考えました」(「ガンダム67の質問」より)という「アムロ・嶺」の表記に愛着を持っていたのではないでしょうか。また、富野監督のこの発言が、1979年12月に『ガンダム』のプラモデル商品化権を獲得したバンダイの、「1/144 ガンダム」のパッケージの説明に影響を与えたとも考えられます。 『ガンダム』という作品は、富野監督の個性と考えが強く反映されていますが、同時にさまざまなスタッフとの集団作業で作られています。さまざまなスタッフの考えがせめぎ合い、「アムロ・嶺」という表記が「アムロ・レイ」に収斂していったのでしょう。現在は公式に「アムロ・レイ」という表記に一本化されています。
大山くまお