「さくら」は50か所、「うめ」は19か所以上。日本に桜・梅がつく地名が多いのはなぜ? 京王車庫前が桜上水へと変わった理由
地名散歩 地図に隠された歴史をたどる #1
日本には「さくら」「うめ」といった花の名がついている土地が多いという。好ましい字を選ぶ「好字化」の影響や、桜の名所にはことごとく桜の名前を冠した背景など、地名の歴史を知るのはおもしろい。 【地図】梅の名所 昭和28年の水戸市の地図
地図研究家、今尾恵介氏の新著『地名散歩 地図に隠された歴史をたどる』より、日本全国の花の名前の土地土地に思いを巡らせた章を一部抜粋して紹介する。
やはり梅と桜が多い「花」の地名
ひときわ寒い冬に待ち遠しくなるのは花の季節である。枯れ木の中でいち早く蕾をふくらませるのが梅であるが、「梅」のつく地名で最も有名なのは大阪の梅田だろうか。大阪駅の所在地(大阪市北区梅田三丁目)でもあるが、明治7年(1874)に関西初の鉄道が神戸までの間に開通した時、その停車場が建設されたのは大阪の旧市街から北に外れた曽根崎村の田んぼが広がる地域であった。 埋め立てにちなむ埋田が転じて梅田になったとされるが、梅田姓に由来する説もある。 『角川日本地名大辞典』に掲載されている大字レベルの現役の「梅田」(梅田町も含む)は全国に19あるが、このうち埼玉県春日部市、新潟県長岡市、和歌山県海南市、鳥取県琴浦町の梅田は「埋田」に関係すると説明しており、由来が記されていない梅田も沖積地が目立つ。 日本には古くから良い字を選ぶ「好字化」の伝統があり、梅の字が特に好まれたのだろう。長崎市の出島にほど近い梅香崎町も、幕末期に埋め立てられた場所に当時の長崎奉行が命名したという。 もちろん好字ではなく、新しい地名には文字通りの梅の木に由来する地名が目立つ。最も古そうなのが梅の名所・偕楽園で知られる水戸市の梅香(上梅香・下梅香)。梅を愛した佐竹氏の家臣・岡本禅哲(号は梅香斎)の居館に由来する。愛知県知多市梅が丘は昭和55年(1980)成立と新しいが、「古くから梅の花の咲く丘であったことに由来」(前出『角川』)するという。 受験シーズンになると合格祈願の絵馬で賑わうのが各地の天満宮だが、菅原道真が左遷で大宰府へ流される時に詠んだ「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花……」の和歌でも知られる通り、太宰府市には梅ヶ丘と梅香苑がいずれも市域南端の新しい住宅地に昭和60年(1985)に生まれている。 京都府長岡京市の長岡天満宮のすぐ南側に阪急が造成した住宅地は昭和36年(1961)に「梅が丘」と命名された。 梅の地名より多いと思われるのが桜で、全国各地に見られる。桜ヶ丘(桜丘・桜が丘)を検索してみれば北海道根室管内から鹿児島県西之表市(種子島)まで日本中に多く分布しており、『角川』によれば「さくらがおか」と読む地名は全国で50か所を超える。 桜町はさらに多く、江戸期からの桜の名所として知られる東京都小金井市の桜町(昭和34年起立)をはじめ、全国的に戦前から戦後にかけて好んで命名された。昨今でも栃木県さくら市、さいたま市桜区など新しい市・区名に採用されるなど人気は相変わらずである。さいたま市桜区はサクラソウにちなむので似て非なるものではあるが。