なぜ硫黄島は「上陸禁止」なのか…日本人がじつは知らない「不都合な現実」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
硫黄島には核は持ち込まれない
核を巡る日米交渉の結果は今も生きている。一方で、交渉時と大きく変わったことがある、と名古屋外国語大学の真崎翔氏は指摘した。それは、核戦略上の硫黄島の重要度だ。 「おそらく秘密の核保存場所としての硫黄島の役割というのはほとんど終わっていると思います。ほとんど形式的なものなんだろうと。もはや、いざ戦争になったら原子力潜水艦で戦う時代です。硫黄島に核兵器を置ける場所があるということが分かってしまっている今、秘密の核貯蔵基地としての役割はもはやほとんどないのではないでしょうか」 ここまでの話を聞いて、とても興味深い指摘だと僕は思った。この半世紀で核の戦術は変わり、さらに硫黄島の核貯蔵の歴史も明らかになった現在、核が持ち込まれる可能性は極めて低いと真崎氏は指摘したのだ。つまり、日米交渉の結果はそれぞれの思惑によって現状変更を望まない両国の間で放置され、もはや形骸化してしまっているということだ。 では核戦略の要衝でなくなったのであれば、なぜ民間人の原則上陸禁止が続いているのだろう。真崎氏が「おそらく」と前置きした上で挙げたのは自衛隊の「レーダー」だった。 硫黄島はかねてから、「ロランC」が置かれるなど電波通信の軍事施設の拠点だった。その重要度はソ連崩壊による冷戦終結後も変わらなかった。中国の軍事的行動が太平洋方面で活発化したためだ。 硫黄島のレーダーを巡っては近年も、たびたび報道された。2018年4月5日付毎日新聞に掲載された「硫黄島に防空レーダー 防衛省方針 中国空母進出備え」との見出しの記事はその一つだ。 記事では〈中国の軍拡のスピードは予想以上に速い。将来的な脅威に備えて、小笠原諸島などでも中国軍の動向を把握できる体制を整備することが重要だ〉との防衛省幹部の談話も報じた。 真崎氏は言う。「レーダー基地という繊細な基地を置くにあたって、人が自由に入れる状態は都合が悪いんだろうと思います。日本人の自由な上陸を許すことは結局、外国人の上陸を許すことになりますから、機密上の理由で許せないのではないかと考えています」。 一方、返還後も米軍が自衛隊と共同使用している滑走路の発掘調査についてはどう考えているのだろうか。遺族の長年の悲願だが、実行される気配は一向にない。 「日本政府が遺骨収集のために滑走路を剥がさせてくださいと言った場合、僕はおそらく米国側は認めると思います。米国では、戦没者に敬意が払われるし、硫黄島戦は敗者も勇敢であったという歴史認識がされているからです。なので、これは偏に、日本側が忖度というか『触らぬ神にたたりなし』という思いがあるのではないでしょうか」 日本側は米国側に積極的にアプローチしないのはなぜなのだろうか。 「米国にお願いしたら、別のことをお願いされるのではないかとか、日本側が、腰が引けて言えないというのが実際であるような気がします。結局、米国側は滑走路を剥がさせてくれたとしても、必ず代替地はあるのかということを聞いてくるはずです。そうなるとそこを用意するのに、ものすごい労力がかかるでしょう。役人としても、遺骨収集というのは生産的に感じないと思うんですね。さらに、ものすごく仕事が増えるし、そうなると出世の足が引っ張られてしまうかもしれない。つまり(遺骨収集は)時間が解決する問題だと思っている。その時間を待っている状態なんだろうというふうに思います」 真崎氏の指摘通り、国の不作為があるのならば、不作為を改めさせるのは国民の世論だ。しかし、遺骨収集の推進を強く求める声は、遺族と関係者以外からは上がってこない。それは、硫黄島の伝えられ方も影響していると真崎氏が指摘した。 「多くのメディアが硫黄島は地獄のような島だという風に報じてきたがゆえに、誤ったイメージがついてしまった。国はある意味、そのイメージに乗っかって『あそこは地獄のような人の住めない、飲み水もなくて生きていけない島だから、そんなところに島民を帰してもしょうがないじゃないか』という方便を使ってきた。国の方便は、多くの国民のイメージに合致するので、それが理由としてまかり通ってしまった。その結果として、日米の基地化を許してしまった。そして、今も続いているということではないかと僕は思います」
酒井 聡平(北海道新聞記者)