坂上忍や伊集院光が後押し…伊東楓が語る「TBS女子アナが画家へ異例転身」一人でドイツへ移住のワケ
坂上忍、伊集院光……。 会場には多くの有名人から贈られた花が飾られていた。いずれも画家になるために背中を押してくれた人たちだ。民放キー局の女子アナからアーティストへ。1月28日まで東京・銀座の「東急プラザ銀座」で絵画個展「人はいつまで夢を見ていられるのだろう」を開催した、元TBSの伊東楓さん(30)が語る。 「悩み苦しむことの連続」…画家へ転身した元TBS女子アナ「大胆ポーズ」の美しき素顔写真 「TBSにいた時から坂上さんや伊集院さんは、『トンがってるんだから好きなコトやりなよ』と言ってくれました。その言葉のおかげで思い切れたと思います。今は拠点をドイツに置き創作活動をしていますが、悩み苦しむことの連続。作品を通じて、日本人として世界で苦闘する私の姿に少しでも勇気をもらってくれたら嬉しいです」 伊東さんが画家になるまでの道のりは、決して順風ではなかった。悩ましくも刺激的な伊東さんの半生を、本人の言葉で紹介したい――。 ◆大学で取得した似顔絵師の資格 伊東さんは幼い頃から絵に興味を持っていたという。 「母と動物園へ行った時など、一緒に生き物の絵を描いていたんです。母は美的センスのある人で『こんな色を使ったらいいんじゃない』と、的確なアドバイスをしてくれました。高校はバドミントン部でしたが、体育祭の生徒用Tシャツなどは私がデザイン。文字のフォントにもこだわっていたのを覚えています」 高校卒業後は、立教大学文学部へ進学する。 「就職活動に役立つだろうと、大学では資格を取りまくりました。英語検定、秘書検定、日本語検定……。母から『面白いから取りなよ』と言われ、通信試験を受け取得したのが似顔絵師です。この資格が、後に女子アナになってからの転機のキッカケになりました」 小学生の時にテレビで西尾由佳理(元日本テレビ、現在フリー)などを見て、「知性と品格のある女性だな」と女子アナに憧れていた伊東さん。大学では放送研究会に所属。’16年4月にTBSへ入社し夢のアナウンサーとしての1歩を踏み出すと、しばらく絵の世界から遠ざかっていた。 「転機となったのが入社3年目、’18年の秋でした。中居正広さんのバラエティ番組でアシスタントをし、相談を寄せる芸能人や一般の方の似顔絵を即興で描くことになったんです。大学時代に取得した似顔絵師の資格があっての役割でした」 やるなら中途半端でなくちゃんと描こうと、伊東さんは絵の勉強を始める。自宅で毎日のようにデッサンをし、写真や動物を模写したのだ。 「よりリアルに描こうと、専門店で150色もあるプロ用の色鉛筆を買ってね。どんどん絵を描く楽しさにハマっていきました。リアルな描写なら写真でもいいじゃないかと、途中からは水彩画も描くようになったんです。絵の世界では、自分らしさを思う存分出すことができました。 一方で悩みも深まっていきます。絵では自分の感性や主観を活かせますが、アナウンサーは公平中立で客観的でないといけません。『私のやりたいことはなんだろう』『本当に女子アナに向いているの?』という思いが強くなり……。自問自答する日が続きました」 ◆ゼロからスタートしたいと単身ドイツへ 伊東さんは、番組で共演した坂上や伊集院に絵に対する情熱をぶつけた。その時のアドバイスが冒頭で紹介した言葉だ。伊東さんは大きな決断をする。’21年2月にTBSを退社し、画家になる道を選んだのだ。 「人が温かく様々な仕事をさせてくれたTBSが大好きでした。女子アナの仕事も100%全力で取り組んだつもりです。しかし、周囲からは充実した人生を送っていたように見えても内面では葛藤がありました。社長に『絵の世界に進みます』と伝えると『大きなことを成し遂げようとする君を止めることはできない』と、笑顔で許してくださって……。 女子アナという肩書きがなくなった私には何もありません。ゼロからスタートしよう、私のことを誰も知らない環境に身を置こう。そう考えて単身、古典絵画に日常的に接することができるヨーロッパに行くことに決めたんです。イギリスやフランスは旅行で訪れたことがあるので、自分の生活がイメージできます。移住先は、渡航歴や知識がなく真っサラな気持ちで挑戦できるドイツにしました」 だが、’21年10月から移り住んだドイツでは想像を絶する苦難が待ち受けていた。【後編:「ドイツの苦悩生活を救った」単身飛び込み営業】では、伊東さんが繰り広げる異国での孤独な戦いを紹介する。
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